【「京都買います」(2)】
飯島「(『怪奇大作戦』〈1968〉の)「京都買います」は最低視聴率ですよ。全国から「見えない」と(一同笑)。でもゴッホの絵もそうです。生きてるときは相手にされない。4、5歳でごらんになっても判らないけど、何十年か経って見ると奥深い。ぼくのような娯楽派の作品は、そのときは視聴率をとるけど大きくなって見ると「ばかばかしいなあ」と(笑)」
小中「飯島監督のだけに隊員服を着るシーンが」
飯島「だけじゃないよ(笑)。でも画家でも何でも大金持ちのスポンサーは大事。
当時のテレビ局は何つくってるか知らないから。いまは打ち合わせが多くて、そういうのは無理ですね」
【「ゆきおんな」】
この日は上映されなかった飯島監督の最終話「ゆきおんな」にも話題が及んだ。
飯島「円谷プロの金庫にお金がなかった。京都に全部持ってっちゃったんですよ、誰かが(一同笑)。タイアップしてくれるホテルをさがして、那須ロイヤルホテルが7日間だけただでいいと。条件はダンシングチーム、フラガール。SKDからの流れをくんだチームがあって、映してくれるならばただ。ダンスのシーンは、移動車もないので、鈴木さんを椅子にすわらせて」
小中「え、キャスター付きの椅子を動かしたんですか。そのわりに流麗なカメラワーク」
飯島「そこを見ると、実相寺(実相寺昭雄)が笑うんですよ。「何であそこでキャバレーみたいなシーンがあるんですか」って」
小中「実相寺さんは京都でちゃんとした移動車とかクレーンとかどんどん使って撮ってますね」
飯島「お金がそこへ行っちゃってる(一同笑)。
八ヶ岳で「オヤスミナサイ」っていうのを1本撮って、その帰りに同じチームで「ゆきおんな」を撮ってきたの」
【タイトルと合成】
『怪奇』に合成は決して多くないが、メインタイトルや「恐怖の電話」の歪む時計、「呪いの壺」の炎上シーンなど強烈な印象を残す。
中野「『ウルトラQ』(1966)のタイトルを初めて見て、円谷英二はすごく喜んだんです。宮内國郎さんの音がよかった。この音と画が円谷の作品だと判るということで『ウルトラマン』(1966)のタイトルもあれから始まったんです。
合成はカメラマンが素材を撮ってくれないとなかなかできない。特撮のカメラマンはかなりいろんな素材を撮ってくれる。合成は、監督がほしい画を100パーセントつくるのは難しい。タイミングやフォーカスが合わなかったりするのをひとつの画にする。
120フレームつくって、5秒で終わっちゃう仕事。それに時間をかけてやる。
『怪奇大作戦』ではぼくらも何年もやってたんで、特撮のカメラマンと打ち合わせをしないでも撮りたいところがはっきり判る画を撮影してくれて。数は少ないですけど、質の高い合成ができて。
オープニングタイトルも鈴木さんが撮ったんですが。真ん中から外へ広がるっていうのは、撮るのは苦労があったと思います。5秒しかないけど印象に残るようなもの。円谷英二は「よかったぞ」とはなかなか言わないんですけど、黙ってればいいというのがぼくらにはあって。黙らせるようなものをつくる。作品の中に合成は少ないけど、毎回オープニングがあって。
作品の中では「呪いの壺」とか「ゆきおんな」とか印象に残るようなものが。ラッシュで見て、ああ、これならこう加工すればいい。
フレームを動かすには、画面の真ん中にある程度の大きさで撮れてないと、拡大すると画が荒れちゃう。引き画で撮ればフレームは出ないですけど、拡大すると荒れる。こんな大きなスクリーンで見られるなんて想定していなかったから」
小中「こんな大きな画面で見てちゃんと見られるってすごいですね」
【最後に】
飯島「50年経って、じっと鑑賞されると汗が出ます(笑)。何にもない、CGもなかったし。だけどこんなにいろんなことができたんですね。円谷プロ育ちのみなさんが自信をつけたころですね」
桜井「50年前、あそこには戻れないので、きょうはいい気持ちで帰らせていただきます(笑)」
稲垣「デビュー作で、それから50年ほどカメラの仕事をやってきましたけど『怪奇』がいちばん幸せでした。改めて鈴木清さんには嫉妬を感じました(一同笑)」
鈴木「お互いに嫉妬。当時は見てびっくり、やってるときは判らない。ぼくの場合は『Q』『マン』『セブン』とやってきて、最終的に『怪奇』で脱皮する。お互い8本ずつやって、それから他流試合をしてくわけですね。ベテランの顔して、よそさまで撮っていく。8本ですけど80本みたいな気持ちですね。ぼくらの原点です」