【『悪い奴ほどよく眠る』『用心棒』(2)】
加藤武氏は、黒澤明作品の中でも特に人気の高い『用心棒』(1961)にも出演。
加藤「現場では黒澤監督に怒られてばかり。仲代達矢さんは淡々と喋ってOK。三船(三船敏郎)さんもガーッと全身で芝居してOKで全然怒られない。
『用心棒』では黒澤さんが上から「加藤ーっ」って怒鳴ると、大先輩の加東大介さんが 「すいません」って。申しわけなくて土下座しました」
【『天国と地獄』『乱』】
黒澤監督の代表作のひとつであるサスペンス大作『天国と地獄』(1963)では、加藤氏は刑事役。ハイライトのひとつは特急・こだまでの身代金受け渡しのシーン。
加藤「『天国と地獄』は、映れば立派なものだけど現場は大変なものでしたよ。17秒間で(こだまが)坂を通過するのに、みんな大緊張。リハーサルは品川の操車場の止まってる車輌の中で何度もやりました。いま見直しても身が縮む。
屋根が邪魔で(人質の)子どもが画面に映らないからって、家を1軒、屋根を外したり。裏方さんも大変で「屋根だけ外していただけませんか」って」
野上「しょうがないから、その家を建てた大工さんを連れてきて1日で直したんです」
加藤「こんな話しても画面では判らない。でも黒澤さんは隅々まで(妥協を)許さない」
野上「別に悪いことではないです。屋根を取らないと子どもが映らないから(一同笑)」
加藤「川っぺりを木村功さんとぼくが歩いて行くシーンの撮影で、川が綺麗だったんです」
野上「その川に山崎努が映るんです。小道具の人が川にゴミ入れてたら、監督が嘘っぽいと。だから(スタッフが)市役所へ行って川をせき止めて、1か月自然にゴミが溜まるのを待ちました(笑)。黒澤さんは川に何か映すの好きだから」
加藤「汚し方が違う、ダメ!って。あれにはびっくりしたよ」
主役の権藤(三船敏郎)の邸宅は坂の上にある。犯人の山崎努の家はその下にあり、格差が視覚化される。
野上「権藤邸は3つ、つくりました。山崎努から見たのと、東宝撮影所のセットと、横浜につくったのと」
加藤「東宝のセットはちゃんとできてて電球もあって、電車も動いていて、これでいいじゃないかって思うんだけど。
当時は、手前も奥もしっかり映すために、ライトをすごく当てる。暑くてサウナに入ってるみたい。フィルム(で撮れるの)は10分までで、10分ぎりぎりまで撮って、いちばん最後に木村功さんが出てくる。しくじるわけにいかないから、木村さんもこれは厭だなと。暑いし、われわれもずっと映ってるから、ちょっとしくじるともう一遍最初からでまた10分間。シャーとカメラの回る音だけ聞こえて。すると頭にぽたっと。照明部の汗でした。上の照明さんも緊張して、汗拭けないから、雨だれのように(笑)。
いま見直すと、映ってるのは髪も黒々と若いけど、こんなじじいになっても見ていて緊張する。見ると疲れます」
その後黒澤監督の作品は減り、加藤氏とは縁遠くなったかに思えたが『乱』(1985)に久々に出演。
加藤「『乱』では馬から落っこちて。ぼくは侍大将だからいつも先頭に立っていました。後ろの人たちはみんな乗馬のベテランで、大将がいちばん下手なんです。おれだけ木の鞍、和鞍で痛い。それで長いカットを撮って、もう一遍やろうって言ったら、鞍がバラバラになって馬から落ちちゃった。手をついたらパキッて音がした。あれ以来、いまでも手がね。おれボーリングをよくしてたんだけど、外れるようになって。悪い医者にかかったからね。でも名誉の負傷だよ」
【その他の発言】
加藤「この人が黒澤映画の唯一の語り部ですね」
野上「歳とっただけですよ」
加藤「おれが怒られたのも全部見てたよね」
野上「よく怒られてたね(一同笑)」
加藤「黒澤さんの現場では、ひとりそういうのが出る。あれで監督もストレス解消かな。やられるほうはたまらない(一同笑)」
野上「仲代達矢さんが何度も歩かされたって言ってて、歩くぐらい何? 加藤さんに比べれば(一同笑)」
加藤「『天国と地獄』では石山健二郎さんと三船さんのシーンで、三船さんが100メートルをダッシュ。こう言うと申しわけないけど石山さんがNG出すから、三船さんが何度も走る。でも厭な顔ひとつしない。そういう裏話があるんですね。ひとつひとつ思い出すと胸がつまっちゃう」
野上「黒澤映画にこんなにいろいろな役で出た人は珍しいですね」
加藤「黒澤さんのためにえんやこらですね(笑)。黒澤映画の大変さが、いまの私を支えてくれている。画面を見ると、みなさん亡くなられていて」
野上「私も来年はいないよ(笑)」