私の中の見えない炎

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三田佳子 × 村上佑二 × 木田幸紀 × 長沼修 × 鈴木嘉一 トークショー “制作者が読み解く市川森一の魅力” レポート・『花の乱』 (4)

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【『花の乱』(2)】

 木田幸紀氏は『花の乱』(1994)が初プロデュースだった。現在はNHK放送総局長を務める。

 

木田「私は三田さんにガンを発症させた張本人のひとり。『花の乱』では駆け出しのプロデューサーでもう25年前ですが、きのうのことのように思い出します。

 『琉球の風』(1993)、『炎立つ』(1993)、『花の乱』の大河ドラマ3本がNHKエンタープライズに委託されてまして、委託の理由はいろいろあるんですが、エンタープライズでつくるのならNHK本体とはひと味もふた味も違ったものをつくろうじゃないかというのがありました。それまでの数本は男の人が主人公だったので、そろそろ女性がいいんじゃないかと。そこで日野富子という稀代の悪女にぶつかりまして、悪女だと後世に言われるということは個性的な生き方をしたはずで、資料がない中でイマジネーションを駆使して描けばいい。リスキーではあったけど、思いついちゃうとやるぞって感じになるんですね(笑)。振り返ってみれば、市川さんはリスクの大きい仕事を喜んでやる。『山河燃ゆ』(1984)の村上さんもそういうのが好き。NHKエンタープライズの高橋部長もそういうのに目がない。内堀も外堀もハイリスクが好きな人に囲まれてました(笑)。

 調べていくと室町時代は面白くて、スタッフみんなが飛び込んでいった。ここ数年で応仁の乱の本がベストセラーになったり、テレビの歴史番組で取り上げられたりするようになりました。判りにくい合戦で、わかりにくさが魅力かもしれませんが、その中でひとりの女性がどうやって生きるか。第1話で日野富子が途中で取り替えられる。誰が見てもフィクションなんですが、早くその発想に行った気がします。室町はとんでもないこともつつみ込む時代だと思っていて。いま考えると、よくこんな難しい素材をやったなと思います(笑)。

 委託制作なので、1月から1年間というスタイルも考え直してみようじゃないかと。『琉球の風』『炎立つ』は原作も同時に開発するっていうつくり方をしてました。小説家の方に先行して原作を書いてもらい、それをもとに脚本をつくる。『花の乱』は4月から。つくり方もいままでにないやり方をしていました。

 それまでに市川さんとはお会いする機会はあったんですが、いっしょにはやってなくて。題材が決まる前から市川さんに書いてもらおうという話があり、おつき合いが始まりました。室町時代をやろうじゃないかとなったんですが、資料があまりなかった。そこで『大日本史料』(東京大学史料編纂所)っていう100巻くらいの資料集があるんですが、古代から100巻。『花の乱』に関係するのは3〜4冊くらいで、でも市川さんは全部買うって言って、奥さんは絶対それだけはやめてくれっておっしゃってたんですが、買っちゃったんですね。壁を一面本棚に変えて全部並べて、その前で打ち合わせするっていうのが大変お気に入り。子どもがおもちゃを手に入れたような嬉しそうな顔で(笑)打ち合わせされていました。そのときのことが目に浮かびます。『大日本史料』の前で話して台本をつくってたのは幸せで、撮影現場は大変だったんですが、打ち合わせは愉しい時間でしたね。脚本は自筆で、ファックスで送ってこられてました。

三田「市川さんのホンは、普通の女の台詞ではないんですよね。歴史の言葉そのものが、口から出てくる。祈祷というのは台本では1行。どうすればいいかをあしたまでに覚える。あんなことがどうしてできたのか。スタッフに助けられ、富子に助けられ、市川さんのすごい世界を打ち破りたい一心で戦ったんですけど。

 ただ世間でいう悪女とは、片鱗はありますけど、富子の悪女ぶりは違っていたように思うんです。歴史の中で女性が後世に名を残しても、結局はつぶされていく。義政はお寺をつくったり、そういう世界に行って家を守らなかった。富子はやむを得ず、猛々しくならなきゃいけなかったんだけど。富子は掘り下げれば掘り下げるほど近代的で、いまの人なんです。日本の政治家のところに乗り込んでいけるような。悪女とは違うと、演じれば演じるほど感じました。政治にも向いていた一生懸命の人でしたね。始まる前にお墓を訪れたんですよ。到着したら小さなお墓でね。すごいお墓があるかと思ってたら、小さな小さなお墓。隅に押しやられて。そこに突如、夕陽が直射でかかりまして、1000年前のことを掘り起こしてくれてありがとうみたいに、燦然と輝いて。忘れられない一瞬でした。

 大変なスケジュールでしたね、木田さん(一同笑)。ほんとにすごい仕事でした」(つづく)