【現実と虚構 (2)】
是枝「永さんはある種のアマチュアリズムを持たれていて、巨泉(大橋巨泉)さんみたいに司会業、プロのテレビ人になってく方向は選ばれてない。プロフェッショナルが切り捨てるものにテレビの面白さがあるという認識というか感覚を多分持たれていた。テレビから離れて民俗学まで行って、芸能・職人といったプロフェッショナルにも傾倒している。両面を持たれていますね。テレビは素人が参加するメディアだと捉えたのが萩本欽一さんで徹底的にそこへ向かってますよね。ある意味判りやすいですが、永さんはつかめない」
是枝「永さんは26回出て、交代されましたね」
今野「撮影終わって宿でお酒飲んだりしますけど、永さんは当時売れっ子でしたから部屋に戻って原稿書いてました。2、3時間しか寝てない。よく引き受けたと思うくらい。最初の打ち合わせで、いびきや歯ぎしりする人はスタッフに入れないでくださいと。相部屋にされると思ったんですね。ぼくはすごいいびきかくんですよ(笑)。(別のロケで)朝起きたらみんなが廊下に寝てて、今野さんのいびきがうるさくて寝られないと(笑)」
今野氏は『遠くへ行きたい』に伊丹十三が出演した回も演出している。
是枝「伊丹さんのも永さんのも自由ですけど、時代が自由だったわけでなくて。出演する側もスタッフも自由とは何かを徹底的に考えてたと思うんですね。伊丹さんと永さんは同い歳ですけど、ふたりの自由さは違う気がします」
今野「伊丹さんは知的好奇心が強い。タクシーの運転手さんの説明の仕方が面白いとすぐ録音する。永さんは民俗学者の宮本常一さんの影響受けて地方の職人さんの生き方に敬意を持って伝えなきゃいけないという、好奇心でなくて使命感ですね。
共通のところは、人に見せるにはどうするかというサービス精神がすごい。テレビ時代にあって見る聞く話すだけでなく、見せるということにエネルギーを使うんですよ。
ぼく(の担当回)は200回までですので、永さんとは多くないです。初期の面白さはいま見るとありますね。曰く言い難い(一同笑)」
是枝「ぼくは最初にADでついたのが『遠くへ行きたい』です。何てつまんないんだろう(一同笑)。全部撮るものもナレーションも決まっていて、食べものが前に1回後に1回とか。どうしても番組は固まっていこうとする。そのうち、これは『遠くへ行きたい』じゃないということを言い出す先輩が出たりするんですが1・2回目を見ると逆に壊れていってる(一同笑)。みんながそういう意識でいないと、こう何でもありには」
今野「『遠くへ行きたい』に限らず、話し合ってた時代ですね。この人はカメラとか職能で分けずに、誰が何を考えついてもいい。永さんも伊丹さんもそうでした。そういう雰囲気があって、一旦何かが起こってもみなが対応できる。
伊丹さんの回で、ある村に行ってご祝儀の歌を撮りたいので、花嫁の人をつれていくので歌う人を用意してくださいと頼んだんです。(当日)行ってみたら、村中総出で結婚式のようになってて仲人とか親戚とか子どもたちもほんとの結婚式みたいになってる」
是枝「仲人役の人は泣いてましたね(一同笑)」
今野「とにかく撮ろうってことで、これは本物と同じ偽の結婚式です、撮影隊が来るから結婚式をやったってことが伝えるべき事実だ、これは嘘だから放送しないほうがいいってみなさん思いますか? そういう謎かけで番組は終わって、事実って何だろう。虚構と事実とは判然としてない。そういうことは伊丹さんや永さんの時代からあるんですね。
番組つくるときはシンプルで面白いか面白くないか。思いがけないことが起こって面白いときは、どう対応するか。撮影してて面白いことを発見していく。ゴダールの言葉で、撮影すべきものは撮影しながら発見するという。それをまさしく教えてくれたのは、永さんとの『遠くへ行きたい』ですね」
【晩年の詩】
今野「永さんが亡くなる3年くらい前に加藤登紀子さんに渡した詩があって、それが気になったんですね。長く生きられないというときにどう思ってたか。新聞で読んだだけですけど。
淋しさには耐えられる
悲しみにも耐えてみよう
苦しさにも耐えてみて
耐えて耐えて
耐えられないのは虚しさ
虚しさ 空しさ
虚しさが耐えられるのは
ともだち あなた 戦う心
いままでの永さんがつくった詩と違う。こういう感慨に晩年になっていったのかなと思うと、彼自身の訴えてたものが人びとの心に根づかなかった、人びとの心が動かなかったと認めたということなのかな。加藤さんは曲をつけたらしいですけど、ぼくはドキッとして。あれだけ饒舌な人が最期のときに虚しさって言葉を発するのは、それも永さんなのかな」
今野氏は、現在も宮澤賢治を題材にしたドキュメンタリーを制作中だという。