私の中の見えない炎

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一少年の観た〈晩年〉・伊丹十三

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 伊丹十三が逝って、昨年12月で丸20年を迎えた。伊丹自殺の報が流れた朝のことは、筆者はまだ15歳だったが何となく思い出せる。筆者は伊丹の存在をリアルタイムで感じた中では、おそらく最年少の世代だろうか。ただ当時の伊丹の評価は芳しいものではなかった。

  洒脱なエッセイストや個性派俳優として著名だった伊丹は、やがて『マルサの女』(1987)などを当てて映画界の風雲児と目された。伊丹が出演・プロデュースした『スウィートホーム』(1988)の予告編では「日本映画界の面白男・伊丹十三」と言われている。だが90年代に入ると、愚劣なヒット映画を連発する忌まわしき存在として槍玉に挙げられるようになってしまっていた。最近では『この世界の片隅に』(2016)を契機にアニメ映画を誌面から排除したことで話題をまいた「映画芸術」でも、90年代の伊丹作品は年間ワーストの常連だった。 

 1992年、小学生の筆者が背伸びして『EXテレビ』を見ていると、スタジオに伊丹が現れた。番組冒頭で「伊丹監督にお越しいただきました」などと紹介される際の彼の気難しげな顔に陰惨な何かを感じて少々ぞっとしたのを覚えている(番組内では三宅裕司森口博子に愛想良く応対していた)。

 先述の『スウィートホーム』では公開後に黒沢清監督と伊丹とが訴訟沙汰になってしまうのだが、その黒沢は伊丹についてこう述べる。

 

スウィートホーム』以降は、裁判でしか会わなくなりました。で、伊丹さんの映画は相変わらず大ヒットしているんですけど、人相が変わっていて、どんどん陰鬱な顔になるんです」(『黒沢清の映画術』〈新潮社〉) 

 伊丹の死後の回想なので記憶が脚色されているのでは…と思わなくもないのだけれども、筆者がこの証言を信じてしまうのは、あの『EXテレビ』での「陰鬱」な顔が記憶に刻まれているゆえである。

 『EXテレビ』ではたしか異業種監督による映画が増えていることについて元俳優・エッセイストの監督としてコメントしていたと記憶するが、この後に某異業種監督が自作映画の裏話をつづったエッセイを読んでいたら、「伊丹十三監督専用」と特記された駐車場に遭遇しそれにひきかえ自分たちはみじめだ…などと読者の同情を引くような言い草に出くわした。弱者面をしているお前だって映画を監督できるような有名人だろうと筆者は気分を害したけれども、このように90年代の伊丹は権威者として揶揄されるようにもなっていた。

 売り上げをアイデンティティとしていた伊丹映画だが、『大病人』(1993)や『静かな生活』(1995)では興行的に失速。おかげで『スーパーの女』(1996)や『マルタイの女』(1997)といった過去のヒット作をなぞったような保守的な企画に走ることになった。かつての『マルサの女』などに関しては批判的な評者(寺脇研)さえも、

 

気になるのは、作っている伊丹十三監督に、才気はふんだんにあっても人間への慈愛をこめた視点が欠如していることだ」(『映画をみつめて』〈弘文出版〉)

良くも悪しくも伊丹映画には存在したセンスと才気」(『映画に恋して』〈同〉)

 

というようにその「才気」を認めるケースがあったけれども、後期の作品に至るともはやエクスキューズすらなく非難・無視の嵐に見舞われた。

 『スーパーの女』には、映像が物理的に暗いわけではないのに何やら不可思議な荒涼感が漂っていた。あくまで筆者の感覚的なものに過ぎず、うまく言語化できないのがもどかしいのだが、後年に『踊る大捜査線 THE MOVIE3』(2010)を見ていても同様の疲弊・荒みを感受せずにはいられなかった。画面設計に手抜きはなくむしろ凝っており、予算も潤沢だろうに何故か際立つ閉塞感・倦怠感。冗談ではなく心理学か精神医学の専門家に2作の画面から共通して読み取れるものがないか教えを乞いたい。 

 遺作『マルタイの女』はアクションシーンが数珠つなぎになっている混乱した作品で、創作に面白みを見出せなくなった最晩年の伊丹の崩れていく姿が見てとれる。

 逝去の前年に刊行された『映画監督ベスト101 日本篇』(新書館)の伊丹の項では丹野達弥が「これだけヒットを重ねた人だから、そろそろ昔の好き勝手な世界に戻るのも一興では?」と記しているけれども、俳優業というわけにはいかなくとも文筆や小規模映画、自らレポーター役を務めるドキュメンタリーなど往年の分野に回帰する選択肢もあった。60歳を過ぎて追いつめられた伊丹には、そんな精力が残っていなかったのか…?

 ひとりの才人の滅びゆくさまを、映画を介して目撃してしまった不幸が筆者はいまも忘れられない。

 

夏の盛りには、時間はほとんど停止してしまう。たぶん一年の真中まで漕ぎ出してしまって、もう行くことも帰ることもできないのだろう、とわたくしは思っていた。あとで発見したのであるが、人生にも夏のような時期があるものです」(伊丹十三『ヨーロッパ退屈日記』〈新潮文庫〉) 

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