8月末に東京アニメアワードフェスティバル2018のプレイベントとして、“TAAF2018クリエイターズサロン@ WACCA池袋”が開催され、片渕須直監督のトークショーがあった。フェスティバルディレクターの竹内孝次氏と片渕監督とは30年以上前、『名探偵ホームズ』(1984)のころから知人なのだという。
東京アニメアワードフェスティバル2017において短編グランプリのスイス=フランス作品『翼と影を』(2015)、優秀賞のロシア作品『クモの巣』(2016)、豊島区長賞のフランス作品『杏茸を少々』(2016)の上映があり、その後で片渕監督のトークという流れ。昨年から今年にかけて、『この世界の片隅に』(2016)の関連で片渕監督のトークを聴く機会は多かったが、他のアニメーション作品にコメントするというのは希少のように思われる。会場に向かう際に、エスカレーターのガラスのすぐ向こうに片渕監督がいたのでちょっと驚いた(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。
【受賞作について (1)】
片渕「きょうはぼくがつくっているのとは違う作品を見つつの話になりますが。
2014年に東京アニメアワードで審査員させていただいて、短編にぼくがいまして、長編に山村浩二がいて腸捻転みたいな人事。
短編って、動かして世界をつくる。『クモの巣』は他愛ないけど、その他愛のなさの中で動かしてるのがすごい。
『翼と影を』は動きも光の強さもよくできてるんですけど、鳥が出てきた瞬間に自由を束縛されて、抑圧された世界で、うまくいけば最後飛ぶっていうのが見える。彼ら(つくり手)はそういう社会に生きてるのかなって気になったんですよ。ノルシュテイン大賞の審査員もやってて、ロシアのアニメ作家けど。彼(ユーリ・ノルシュテイン)は日本の学生を審査してて、日本の学生は自分を中心にして半径3メートルの興味でつくってないかと。『翼と影を』はそういう意味では、大きなものを見てる。その世の中、社会にもっと実感がこもってもいいんじゃないかな。『翼と影を』は、半径3メートルの観念としての抑圧を描いちゃってる。もっとつくり手が感じてる圧迫とか、ヒントがあっていい。彼らの情況が反映されていい。そのヒントになる部分が感じられない。シンボルとしてよくできているけど、シンボルとして成り立たせていいのか。多重に、実感や肉体的感覚とか、最終的に見えてくるものがほしい。結末も見えちゃうし。抑圧された鳥が飛んだときもすぐ暗くなって、飛んでるところはほぼない。何だろうって思うけど、もっと回答が用意された上で、何だろうというのがあってほしい。飛んだ先がいい世界かも判らない。華やかな色になって、それが素晴らしいのかもよく判らない。見てる人が自分に重ねて、自分にとってあれはこうだと思えるのがあっていい。作品の中にそれがあるのかな。象徴されてるテーマ性の上に複雑なものがあって、彼ら自身の何かがあればよかったかな。風船みたいな人が天の岩戸みたいなものをこじ開けてくれる。民衆蜂起か革命かとも思うけど、いまはこういうやり方で世の中変わるとも思えないとか、いろいろ思っちゃいますね。
『クモの巣』は他愛もない一辺倒で見ていける。重いテーマ性を秘めてないから、クモとおばあさんの関係とか、そこに人生のふくらみも感じられて嫌いじゃないですね」
グランプリと優秀賞を受けた2本は、審査員による選出であるので片渕監督も「日本人の趣味で選ばれたわけじゃないと?」。
片渕「『杏茸を少々』は、お父さんが最後にキノコを見つけるのが強引だよね。あの最後に、がっと走るのが描きたかったのかな。アクション系の人かなと思ってしまって。細かくカットが割られてて、日常生活の描写をやるなら包丁でもう1回切れよっていう前に、カットが割られる。籠を投げるのとか、ああいうのやりたい人なのかな。パイ生地がぬるーんとめくれているところとか、つくり手の複雑さ…。いろんなもの持ってる人なのかなって思います」
竹内氏に「カット割りがテンポよくていいっていうのはないですか」と問われた片渕監督は「ありません」と断言。(つづく)
【関連記事】片渕須直監督 トークショー(長編アニメーション16年の歩み)レポート (1)
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