【『それぞれの秋』(2)】
演出の井下靖央は、『それぞれの秋』(1973)により第14回日本放送作家協会賞演出者賞受賞。
飯島「井下くんがこれで演出を確立したね」
小倉「自殺しちゃった河合義隆がスタジオ見学したいって。それで「井下さんって人、すげえなあ」って」
飯島「多摩川でロケがあるけど、あのころは大変だった。バスみたいな中継車持ってって。いまみたいなこんなカメラじゃない」
仲「歌い手の場合は地方の公開録音で中継車が何台も」
小倉「それまでのドラマは第三者のナレーターが普通でしたね。太一(山田太一)さんが『それぞれの秋』で主人公に喋らせて、あれが初めてだったのかな。それを倉本(倉本聰)さんが『前略おふくろ様』(1975)とかで許可とって真似たと」
飯島「倉本さんは人間の歌シリーズでも『冬の華』(1971)をやってるよね。人間の歌シリーズはもっと評価されていいと思うんだけど」
飯島「今年改めて(BSで)オンエアされて見て、新鮮だった」
小倉氏の兄役の林隆三は、飯島監督の映画『ホームカミング』(2011)にも出演した。
飯島「(『ホームカミング』では)林隆三さんは元気だったけど、まさかと思ったね。最後のショーのとき、やけにお腹が出っぱてるなって思ったら、その2〜3週間後だったね。ただショーでは全然感じさせない。翌日電話で「いやあ、疲れましたよ」って言ってたけど」
仲「おれも自慢じゃないけど、毛細血管が切れてあと2日の命まで行きました」
小倉「『それぞれの秋』では兄弟役で『さよなら李香蘭』(1989)とかでも共演して、会えば兄弟喧嘩したね」
仲「木下プロのでタバコを吸う役があって、吸いながら公園で小野寺昭さんと話す。練習して20歳で吸えるようになったんだから」
小倉「『太陽の涙』(1971)で大船で吸う役で、外で慣れようとして吸って、ステージに戻ったら本番で気持ち悪くなって(笑)。沢田雅美ちゃんに「しっかりしろよ!」ってどやされた」
仲「健康に悪いことはしてなかったけど、汚れていきましたね(笑)」
小倉「ぼくの親父は結核で片肺取ったんで「タバコだけは吸わんでくれ」って言ってたんですよ。でも台本に出てきちゃしょうがない。1度吸うとね」
飯島「高校3年でタバコ吸うと大人になった気がするんだよね」
【その他の発言】
小倉「TBSで中村錦之助(萬屋錦之介)さんで『真田幸村』(1966)があって、大山(大山勝美)さんが撮ってました。ぼくは子役で出てた」
飯島「大山くんは、ぼくがチーフのときにセカンド。新劇の有名な女流脚本家の書生をしてて、その関係でTBSへ来て。年はひとつ上だった。彼はチャンバラ育ち」
小倉「ぼくは霧隠才蔵の小姓の役で、座ってるだけでした。天井裏に曲者がいて撃つと、血が出て。本番で火薬入れて撃ったら「うわ、びっくりした」(笑)」
飯島「導火線だから、撃つ人はびっくりするよね」
小倉「しばらくシーンとして、その声を消せるか消せないかって話になって。大山さんが「ダメだ、声出しちゃ!」(笑)」
飯島「彼も亡くなっちゃったね。ぼくは昭和32年に社員になって、大山くんが来たのは昭和33年かな。
脚本を取りに行ったら、玄関に大山くんが「先生は留守です」って出てくる。すると後ろからその先生が「あら、飯島さん」(笑)。平気で言うんだよ。ある日スタジオ行ったらいて、ADだって」
小倉「『冬の雲』(1971)が終わったころ、廊下で大山さんとすれ違うと「かごんまか!?」。ぼくも大山さんも鹿児島だから。使って(起用して)くれるのかなと思うと使ってくれない(笑)」
飯島「いろいろ逸話のある人が亡くなっちゃう」
2000年代初頭に、飯島氏は2度手術した。
仲「胃を手術なさったと?」
飯島「ないの」
仲「全出!?」
飯島「もう10年以上前だけど、初めは半分残したの。1年経ってまた悪くなって全部取っちゃった」
エッセイ『バルタン星人を知っていますか?』(小学館)が7月に発売された。
飯島「初めて本を書いて、木下惠介プロへ行く前で終わってるんだけど。バルタン星人をつくった人間として、ウルトラマンの悪役で出てきたと思ったらやられるとかアクセサリーでかわいいとか、そういうもんじゃないんですよ、こういう思いがこもってるんですよっていう本。マニアではぼくより詳しい方もいらっしゃるけど、ぼくが感じたのはこうですよ、ということ」