私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

愛の意味を考えてみた?・『離婚しない女』

f:id:namerukarada:20160703192949j:plain

 北海道の町の実力者(夏八木勲)に目をかけてられている主人公(萩原健一)は、その妻(倍賞千恵子)と不倫関係に。実力者の夫は豪快に笑って黙認する。主人公は釧路に向かう列車の中で、赤字のバーを経営する別の女性(倍賞美津子)とも出逢い、平行してつきあっていた。裕福な女と金に事欠く女。やがてふたりは衝突する。

 1970年代にロマンポルノや『青春の蹉跌』(1974)などで鳴らした神代辰巳監督は、80年代に入って連城三紀彦原作『恋文』(1985)をヒットさせる。その余勢を駆って、同じ監督 × 脚本 × プロデューサー × 主演の座組みで連城原作を映画化したのが『離婚しない女』(1986)。いわば2匹目のどじょうであるが、それだけでは話題性に欠けるとの判断があったのか、ひとりの男と三角関係に陥る女ふたりに倍賞千恵子倍賞美津子が配されて、姉妹の初共演と相成った。

f:id:namerukarada:20160704193813j:plain

 姉妹役というわけではなく、実の姉妹が他人という設定で男を相争う…。そんないびつ?なキャスティングに加えて、いささか感情移入を拒否するような登場人物たちの言動(ラストの倍賞千恵子の姿はその極致であろうか)。人間模様が入り組んでいる割りには起伏のない、ちょっとヨーロッパ映画的な展開。ウェルメイドにまとまった『恋文』に対して、『離婚しない女』は観客を突き放すような唐突さと狂気を漂わせる。案の定というか、興行的には不入りだったという。

 主演の萩原健一は『青春の蹉跌』や『アフリカの光』(1975)など神代辰巳作品の常連で、「神代学校生」を自称していた。萩原は『日本映画「監督・俳優」論』(ワニブックス)にて『離婚しない女』の想い出を詳しく述べている。

 

幅を広く簡単に、見れば誰にでもパッと分かる作品にしましょうよ、と。そんなこれまでとは違う態度で『恋文』には臨みましたね。だけど、そのフラストレーションが神代さんには溜まっていたわけです。だから次に『離婚しない女』に行ってしまった」(『日本映画「監督・俳優」論』)

 

 ヒロイン役の倍賞千恵子は『男はつらいよ』シリーズの印象を覆すような、派手な妻の役。本人は『恋文』を見て神代作品出演を希望したのだという。

 

千恵子さんは『恋文』みたいな作品をつくってもらいたかったんです。当たってるかどうか分からないけど、『男はつらいよ』でさくらサンをあれだけ長くやっていると、どこかでストレス解消のはけ口が欲しくなるんだな、と僕は感じていました。『離婚しない女』に出ることには、山田洋次さんも松竹も反対したんだから」(『日本映画「監督・俳優」論』)

 

 山田洋次はポルノ映画を貶める発言をしていたらしいので、自作のレギュラーが多数のロマンポルノをものした神代監督の作品に出るのは、たとえポルノでない一般映画であってもやめてほしいところだろう(NHKBSプレミアムの「山田洋次監督が選んだ日本の名作100本」のラインアップに、神代作品は1本もない)。

 松竹は『男はつらいよ』シリーズの主演者・渥美清が寅さんのイメージと異なる役柄を他社で演じることに難色を示していたようだが(小林信彦『おかしな男 渥美清』〈ちくま文庫〉)『離婚しない女』はその松竹制作。妙な気がしたけれども、萩原の回想を読むとやはり悶着があったのだと判る。

 

でもさ、あの映画では、彼女のおっぱいが出ていて、ラッシュの時に、ちらっと出ちゃったって騒いでるんです。そんなこと言ったって、自分でやりたがった映画なんだからしょうがないですよ。撮り直すわけにもいかないしね」(『日本映画「監督・俳優」論』) 

 男に電話しながらソファの上をごろごろ転がる、何やら生々しい倍賞千恵子の姿。役者が台詞を言いながらやたら動く趣向は神代作品に頻出しており、脚本家の荒井晴彦は「神代体操」と呼ぶ(『嘘の色、本当の色 脚本家 荒井晴彦の仕事』〈川崎市民ミュージアム〉)。

 倍賞美津子のバーで上演される劇中コントの作者は秋元康。台詞で人間を「生ゴミ」呼ばわりしていたが、その「生ゴミ」は『ペットントン』(1983)や『魔法少女ちゅうかないぱねま!』(1989)、『海賊戦隊ゴーカイジャー』(2011)などで使われている脚本家・浦沢義雄の持ちねたである。筆者は見直していて、このコントは浦沢によるものかと思ったのだが、クレジットに「作:秋元康」とあったので驚いた。既に著名な売れっ子作詞家だった秋元が何故に…?

 興行的に失敗し、いまは顧みられることのあまりない『離婚しない女』。本作を公開時に積極評価したのが映画評論家の山根貞男である(『日本映画時評集成1976-1989』〈国書刊行会〉)。筆者は山根とはあまり好みが合わないので何だか意外だった(山根は本作に限らず神代作品を概ねいつも絶賛していたが)。また「映画秘宝」2010年5月号では、映画ライターの磯田勉が『離婚しない女』を「良質」のメロドラマと軽く触れた。

 町山智浩『トラウマ映画館』(集英社文庫)ではないけれども、トラウマになった映画があるという人は多いだろう。『リング』シリーズの脚本で知られる高橋洋は幼いときに偶然目にしたテレビの謎めいた映像が創作の原点だという。町山や高橋に自分を重ねるのはおこがましいが、筆者にとってのそれは11〜12歳のころに見た『離婚しない女』である。深夜のテレビにひっそり流れた、ふたりの女とその間でたゆたう男の姿。バブル前夜の時代、極寒の北海道にほとばしる愛と憎しみ。初めて見たときの筆者は役者さんが姉妹であることすら知らなかった。

 恋に狂う倍賞千恵子のたどりついた境地はハッピーエンドと言えなくもない。そして敗れ去った倍賞美津子のやるせない微笑み。凡人の筆者がこんな濃密な愛の世界に生きることはないけれども、ささやかな愛憎にとらわれたときは、いまも『離婚しない女』のふたりの女が胸に去来するのだ。

 

【関連記事】宮下順子 × 白鳥あかね トークショー レポート・『四畳半襖の裏張り』『赫い髪の女』(1)