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山田洋次 × なべおさみ トークショー レポート・『吹けば飛ぶよな男だが』(1)

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 チンピラの主人公(なべおさみ)と仲間(佐藤蛾次郎)は、家出した若い女緑魔子)をつれて逃げた。彼女は妊娠しており、主人公は彼女を思いやりながらも、取り返しのつかない事態を引き起こしてしまう。

 

 『男はつらいよ』シリーズにより知られる巨匠・山田洋次監督の初期作品『吹けば飛ぶよな男だが』(1968)は、コメディタッチながら悲哀を滲ませる傑作。過激なバイオレンスシーンもあり、山田作品の中では異色で孤高の存在感を誇る。トルコ風呂経営者のミヤコ蝶々、大学教授の有島一郎犬塚弘長門勇芦屋小雁など脇を固める俳優陣も素晴らしい。

 2月にリバイバル上映と山田洋次監督のトークショーが行われ、会場に来ていた主演・なべおさみ氏も途中で登壇した。聞き手は脚本家の加藤正人氏が務める(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

 

【『吹けば飛ぶよな男だが』(1)】

山田「なんせ50年も前のことだから(細かいことは)忘れちゃったけどね、やりたかった作品で、やくざにあこがれるチンピラの悲劇をやりたかったのね。企画が通らなくて、通ってもキャスティングとかメインタイトルとかけちをつけられて、実現まで苦労したのを覚えてますね。“チンピラブルース”っていうのにしたんだけど、そんなしゃれたのはダメだと。会社は、昭和元禄何とかっていうタイトル(一同笑)。昭和元禄って言葉が流行ってた。この時代、ぼくたちの国はパワーがあったんだな。元禄なんて言い方をしたってことはね。いまと比べて元気な時代に、哀しい若者の映画をつくりたいと。

 まだ撮影所があった時代ですから、彼(森崎東)もぼくも同じ松竹大船の助監督時代の仲間なんですね。何年も親しくしてたし、こんな映画つくりたいと話すわけね。その間に素材が膨らんでいったということで。撮影所でしょっちゅう会うわけで、やがて現実化してして、いっしょに(執筆のために)旅館にこもる。

 無法者、常識にはまりきらない人間を主人公にした映画は、ぼくはハナ肇さん主演で何本もつくってました。その系列の作品です。その世界を、今度は暴力団にあこがれる青年に当てはめてみたってことかな」

 

 共同脚本は『喜劇 女は度胸』(1969)や『ペコロスの母に会いに行く』(2012)などの森崎東

 

山田「この時点で(『男はつらいよ』の構想は)なかった。この作品では森崎東くんの想像力、イマジネーションに随分影響されてると思いますね。若者の苦しみ方とか爆発的なエネルギーの発散の仕方は森崎くんの世界ではあります。

 こんな世界や人物、こんなドラマってのはあるんだけども、つくっているうちにいろんな影響を受けたりいろんなヒントをもらったりして、結果としてこういう作品になってるわけで。いままでと違うものをつくろうというふうに思ったことはないし、そういうふうに思ったらうまくいかないような気がするね。『吹けば飛ぶよな』っていうのには、かなり激しい芝居が多いけど、ひとつは森崎くんの持っている破壊的なイマジネーションがとても面白くて生かしたってのがあるし。つくるプロセスの中で山口組の人の話も聞いて親しくなったし、影響されてくることもありますね。暴力団の実態、人間関係や家族。まだ神戸で山口組の強い時代ですから、そういう影響で内容もハードになってきたと思いますね。森崎くんと取材と、それで主役はこういう人で(一同笑)、いろんなことが重なってこうなっちゃったという感じがしますね。蛾次郎なんて変なのもね(一同笑)」 

なべ「先生はね、ずっとオーディションで東京、名古屋、大阪、福岡まで行って主役をさがしてたと聞きましたけど。大阪で蛾次郎を見つけて。」

山田「あいつのほうを先に見つけたんだよね」

なべ「スナックの店員やってたんですよ。ぼくなんか、遊びに行ってガジに会ってたんです。前から知ってた。面白い奴で、誰か有名人が東京から来るとすぐへばりつくんです(一同笑)。それで売り込むんですね」

山田「彼は一応プロダクションに所属してたでしょ。ぼく、あいつ面白いって言ったら“おやめになったほうがいいですよ”って言われて(笑)。時間も守らないし、責任持ちかねますってことで」(つづく

 

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