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久世光彦 インタビュー(2006)・『悪魔のようなあいつ』「向田邦子新春シリーズ」(3)

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【一難去ってまた一難だった「カノックス」の経営】

 会社経営は大変だったね。今のカミさんとのプライベートな問題がキッカケで、TBSから独立することになったのは44歳の時。TBSにいる19年より今のほうが長いんですが、あの頃はまだ若造、思い上がっていたんですね。でも、当時のTBSの社長と系列の「東通」という会社がスポンサーになってくれて、お金のことは心配しないでいいということで「カノックス」をつくったんです。

 お披露目のドラマは向田邦子さんが脚本を書いてくれました。その向田さんが飛行機事故で亡くなって…。ボクは彼女の活字の世界をテレビドラマという形で残したいと思い、「向田シリーズ」を作りました。フジテレビの『北の国から』というドラマがあるでしょ。それと同じく「TBSにはこういう良質の番組があります」と言えるようなモノを作ろうという雰囲気で始めたんです。おかげさまで「向田シリーズ」は、番組審査委員会という民放の組織から時々、お褒めの言葉をいただきました。

 ところが、スポンサーだった「東通」が倒産した。まさに、青天のヘキレキですよ。途端に経営が苦しくなりましたね。でも、テレビ朝日の『料理バンザイ!』というレギュラー番組を毎週持っていましたから、何とかしのげた。

 ところが、その8年後にまた危機が訪れた。スポンサーの雪印が食中毒事件を起こして、スポンサーを降りてしまったんです。一社提供でしたから、これは大きかったですよ。毎週ですから、年に50本の制作費がなくなったんですからね、

 ボク自身は資金繰りに駆け回ったわけではありませんが、正直、疲れました。物を作るのと、経営を両立させるのはつくづく難しいと思いましたよ。幸いに民事再生法が適用されて、生き延びているんです。(「日刊ゲンダイ」2006年3月28日号より引用)

 

【年を重ねるに従ってますますカッコイイ沢田研二

 田中裕子は日本一の女優だよ。彼女が20代の後半の頃からの付き合いで向田邦子の新春シリーズに17回出てもらっているんだけど、年々よくなるね。今年は映画賞を総ナメしたでしょ。実はリリー・フランキー原作の「東京タワー」に出演してもらうことになっているんだよ。この作品は、ボクがリリーに直接「ドラマにするなら久世さんに」と言われて権利をもらっていた。たまたま、フジテレビがやりたいというのでフジで作ることになったんです。オカン役は田中裕子しかいないと思いましたね。リリー役は大泉洋で撮ることになった。かなり面白いドラマになると思うね。

 田中の亭主の沢田研二。彼とは舞台を4年やっているんだけど、沢田との付き合いは昭和50年のドラマ『悪魔のようなあいつ』からだった。

 この年の秋だと思ったけど「三億円事件」が時効になるんだよ。それを〝時効まであと何日〟と17週続けた。沢田は犯人役で、それを追いかける刑事に若山富三郎。沢田をかばう警視庁の刑事に藤竜也。3人の男くさい魅力あるキャスティングだったと思うんだけど、視聴率は1ケタ。当たらなかったね。もっとも、沢田が歌ったドラマの主題歌「時の過ぎゆくままに」は、オリコン1位になったかな。

 作家の川上弘美の『センセイの鞄』も沢田にやってもらいました。テレビでは小泉今日子柄本明でやったのを、舞台で坂井真紀と組ませてみた。沢田は年をとるにしたがってよくなりますね。年相応と言うと語弊があるかもしれませんが、自分も考えているんでしょうね。その年の沢田研二の魅力を出すんです。舞台役者として、申し分ないと思いますよ。

 いまだに歌手としての魅力も衰えません。ボクは「歌手・ジュリー」も大好きなんだ。(「日刊ゲンダイ」2006年3月30日号より引用)

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【ボクがどんな死に方をするのか、楽しみですよ】

 ボクの永遠のテーマは「笑い」です。笑いというのは放送と同じで、時代と背中合わせなんですよ。ビートたけしタモリ、それに明石家さんまが出て、笑いの質がそれ以前とは変わってしまった。彼らの笑いがいかんというのではないんですよ。ボクはドラマ『刑事ヨロシク』でたけしとやっているし、そのあとの『学問ノススメ』もある。タモリもドラマ『ミセスとぼくとセニョールと!』に出てもらった。彼らの笑いは感覚的で鋭い。でも、ボクは訓練された笑いを求めているんです。

 たとえば、ザ・ドリフターズ。『8時だヨ!全員集合』のリハーサルは10時間以上かけるんですよ。だから、当たるべくして当たった。稽古に時間をかけるしつこさを教えてくれたのは、いかりや長介さんです。

 『時間ですよ』で浅田美代子堺正章樹木希林の3人で「トリオ・ザ・銭湯」をつくった時も訓練漬けでした。あれ、アドリブでやっているように見えるでしょう。実はハードな練習をしていたんです。収録は10時頃に終わってしまうんですが、その後、3人で朝まで練習してましたよ。まだみんな若かったから、体力もあったんでしょうね。

 体力といえば、ボク自身も連続ドラマをやっていた頃の持久力はなくなりました。連ドラをやらなくなった分、その空いた時間で好きな小説を書いているんです。子供の頃、映画少年と文学少年だった2人のボクがいましたが、今になって、ちょうどバランスが取れるようになったんです。

 ボクは酒を飲みませんから、精神衛生上、ストレスがたまるのではないかといわれますが、好きなことをやっているから感じないんですよ。ただ、たばこだけはね、15歳の時から両切りのショートピースを吸ってますから、これはやめられません。そんなボクがどういう死に方をするのか、楽しみですよ。(「日刊ゲンダイ」2006年3月31日号より引用)

 

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