
【『あ・うん』(1)】
製薬会社のサラリーマン(フランキー堺)とその妻(吉村実子)、実業家(杉浦直樹)。その奇妙な友情と三角関係が娘(岸本加世子)の目を通して描かれる『あ・うん』(1980)。
同作は特に向田邦子の代表作として知られ、翌年には『続あ・うん』(1981)も制作された。岸本氏の他に制作主任だった菅野高至氏も発言した。
岸本「何十年ぶりかにこの名作を見直しまして、自分も何てかわいかったんだろうと(笑)。この名作が私の女優としての絶頂だったんではないかと、いま見ながら思いましたし。大先輩の胸をお借りしてこの作品に参加できたんだなと、改めて感謝の思いでいっぱいです。向田先生のおかげで幸せな作品に参加させていただけたとしみじみ感じました。
向田先生は私のこと大っ嫌いだったんです。TBSで沢田研二さんが光源氏をされた『源氏物語』(1980)の演出が久世光彦さんで、私が小侍従っていう小さな役で、脚本は向田先生だったんです。久世さんがその役を岸本加世子でって言ったら向田先生は「あの娘は小賢しいから嫌い」って言ってると(一同笑)。それでいろいろ当たったけどみんな埋まっていて岸本加世子しか空いてなかったんだって向田先生に嘘ついたから、嫌われてるつもりでやれと。『源氏物語』の顔合わせで初めて向田先生に初めてお会いして、そしたらピンクのパンタロンをはいていらして、ご挨拶に行ったら肩を抱かんばかりに「あなたステキね!」って言われた(一同笑)。なんか狐につままれたみたいに(一同笑)。久世マジックだったかもしれない。判らないです、いまとなっては。久世さんだったら(嘘を)言いかねない(一同笑)。
『源氏物語』が終わるころか記憶があいまいなんですけど(新しい)ドラマを書くから「さと子って役をあんたがやるのよ」って向田先生に言われまして。そのとき隣にいたマネージャーに「岸本加世子という女優は私が育てるから。私が責任もっていい女優にするから黙って私に預けてください」って言ってくださったんですよ。向田作品ではすべてを預けて幸せな時間だったので、絶頂期だったですね。
さと子になりきるのに必死でした。向田先生は脚本家が行くとご迷惑がかかると言われて、あまりお見えにならなかったですけど、1~2回来てくださったことはありました。
NHKで初めて顔合わせとホン読みをやって渋谷公会堂のほうに出て、オリンピックっていうお店に菅野さん、深町(演出の深町幸男)さん、フランキーさん、杉浦さん、私で行って。吉村さん、向田先生もいてみんなで食事したんですね。
そのときはタイトルが「狛犬さん」。台詞にもありましたけど「狛犬さんあ、狛犬さんうん。『あ・うん』にしよう」ってタイトルが決まったんですよ。向田先生が愉しそうにおっしゃってたのをすごく覚えています」
菅野「覚えてません(笑)。オリンピック、ありましたね。夜はラウンジで昼は軽食を出してくれる。向田さんがちゃんと家で原稿書いてくれるかなと、私はそんな心配ばかりしてたと思います」
岸本「次の台本が上がってくるのは愉しみとみなさんおっしゃってました。
ナレーションは心情に入って行くということに集中してやって、ぼそぼそになっちゃったんです。ああいう言い方は、さとこはきっとこういう気持ちだろうなって19歳なりの感性でやったと思います。怒られるかと思ったんですが。普通の監督だったらもう少しメリハリつけてはっきりとと言うんですけど、深町さんがそのままでいいっておっしゃって。後日、向田先生にお会いしたら「あんた、すごくいいじゃない?」って初めて誉めていただきました。
自分の部屋の曇りガラスに彼の顔が浮かんできてうっとりするシーンがあったんです。うっとりするはずが、お化けが出た!みたいな芝居をしたんです。後日、向田先生に「何であんたあんな芝居したの。面白いわね」って言われたんです。その後に『幸福』(1980)ではチューインガムを飲んだまま逆立ちするとか突飛なシーンが多かった。どうして私だけこういうシーンがって訊いたら「役者がホンを書かせるのよ」って言われました」(つづく)

