私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

河合美智子 × 伊地智啓P トークショー レポート・『ションベン・ライダー』(2)

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【撮影現場 (2)】

 『ションベン・ライダー』(1983)のファーストシーンはやくざ(木之元亮、桑名将大)がプールを見ているところから始まって、河合美智子氏たちがプールでガキ大将(鈴木吉和)にいじめられ、暴走族が現れる件りを経て、ガキ大将がさらわれ、着替えた河合氏たちが先生(原日出子)に駆け寄るあたりまで長回しのワンカット。先述のように、カメラさんはクレーンからクレーンに乗り換えている。

 

河合「クレーンは乗り換えるものと思っていたら、そんな現場はあれだけでした(一同笑)。プールから上がって、カメラがあっち行った隙に早着替え。

 朝8時から夕方6時まで。相米さんはゴザ敷いて寝てて、どうして(リハーサルを)何度もやるんですかって訊いても「てめえで考えろ」って。その後は美術さんに⚪︎×カードをつくってもらって、自分はそれを上げるだけ(笑)。原さんは暴走族に捻られて捻挫でいつも怒ってましたね」

 

 河合氏以外に、永瀬正敏坂上忍も現役で活躍中。

 

河合「忍くんは大人がいると笑顔を見せない。ジャックナイフでした。3人のときは笑顔なのに」

伊地智「彼の扱いにはいちばん気を使いました。当時は家庭の情況も最悪だったのかな」

河合相米さんも何も言いませんでしたね」

伊地智「みんなで相米をドブ川へ落としただろう。あれは坂上が首謀者」

河合「私は参加してないですよ」

伊地智「嘘つけ(一同笑)」

河合「応援してただけ(笑)」

 

 舞台は、東京から名古屋、熱海へ。

 

伊地智「名古屋へ行くなんて話は聞いてなかった。助監督の榎戸(榎戸耕史監督。この日もいらっしゃっていた)が「名古屋へ行く」って電話してきた(一同笑)。

 この前、トークで「日本じゃロードムービーは成立しない」って話をしていたら、会場で『ションベン・ライダー』はロードムービーじゃないんですかって質問があって、慌てた(一同笑)。この映画は緊迫感があって、意図しないところに子どもたちのエネルギーの発露がある。ロードムービーを超えていると思ったんです。これは讃辞ですよ(笑)」

河合「名古屋へも、ただ連れて行かれた。でも伊地智さんも(名古屋行きを)知らないとは思わなかったな。

 相米さんの悪口しか出ないけど大好きですよ。どれだけひどいことされたかが、相米さんに愛されたか(笑)」

伊地智「白い粉をまく件りを最後に撮り終えたとき、相米と顔見合わせたら泣けてきた。あんなにまいたら、あぶない粉だと思いはせんわね。この映画はテレビにはかからなかったけど、御用にはならなかった。あのシーンが見ている人の心に届けば、この映画をやった意味はあったかな」

河合「あのシーンでは何度も粉を食べてますね(笑)。

 撮影は夏休みで終わるって聞いたのに、9月23日にやっと学校へ行けたんです。こっちは坊主頭で」

伊地智「何だよ、いまさら」

河合「いや、制作費は大丈夫だったんですか?」

伊地智「もちろん伸びていくよ!(一同笑)」

河合「『台風クラブ』(1985)の現場に行って相米さんと笑って話していたら、工藤夕貴ちゃんににらまれましたね。ああ、大変なんだなって。でも薬師丸ひろ子さんが『ションベン・ライダー』の現場に来たときは、私ミーハーだからいっしょに写真撮ってもらいました(笑)」

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【その他の発言】

伊地智相米に直接に言っても通じなくて、物言う必要がなくなる。黙認しているように思われてるけど、ものすごい怒りの中で我慢していて、これも相米の技ですね。

 監督は俳優さんの本来の力にどう出会えるかが分かれ道。相米は13本の映画を撮ってあっという間に死んだけど、今日たくさんの人に見てもらえるのは俳優さんの出会いもありますね。

 彼が悩んで撮ったフィルムのラッシュは4時間半。それを2時間に収めるっていう無茶な手術の結果、変な字幕が出てきてそれがストーリーの説明になってない(一同笑)。相米が自分にとって映画とは何か、真面目にやろうとした結果なんです。常識でできることはやらず、きりきり舞いして撮った。こんなにたくさんのお客さんが見てくれて、ひとりひとりの方に伺いたいくらいです」

河合「私たちは素人、忍くんはキャリアがあったけど。あの14歳の夏はブルースとして生きていて(相米監督は)もう私じゃない状態になるまでつき合ってくれて、みんなが出来あがるのが判る。監督がすごいのは、本番1回しか撮ってない。いっぱい撮って編集するんじゃなくて。何度も繰り返してわけわからなくなるけど、いちばん輝いてるところを切り取ってくれる。これがデビューでよかったな。

 他の現場へ行ったら1日でこんなにたくさんのシーンを撮るんだ、3日に1シーンじゃなくて。怪我しなくていいんだとか(笑)。

 このときの自分を越えようとがんばってるんだけど、30年経っても越えられないですね」

 河合氏は、相米監督の『光る女』(1987)、『あ、春』(1998)にも出演している。

 

河合「『光る女』のときはウェイトレス役で、相米さんがこうやるんだって見本をやってて、気持ち悪かった(一同笑)」

 最後にメッセージ。

 

河合「私にとっては宝物のような映画。14歳の2月11日、初日に銀座へ見に行って、カットしすぎてわけわからなくなってたけど感動しました。キラキラしてる子どもたちをみなさんも見ていただけたら。

 相米さんはマグロ漁船に乗ってるお父さんみたいで、来年帰ってきそうな気がして。伊地智さんはオーロラ輝子のときだけ、はしゃいでくれましたね。ずっと恩返ししたいと思っているんです」

伊地智「熱海の海に浸かっている河合の表情はよかった。言おうと思っていて、遅くなった」

河合「30年経って(一同笑)」

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