私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

対談 山田太一 × 奥田英朗 “総ての人が〈人生の主役〉になれるわけではない”(2004)(3)

奥田 でも山田さんが描く妻たちの反乱というのはあまり多くはみ出さないですよね。「事件を起こさない」ということを執筆上の縛りになさっているとか。

山田 なるべく、ね。犯罪物はやらない、事件をなるべく起こさずにおもしろいドラマを書くというようなことを自分の中でルールとしています。そうしないと遊べなくなっちゃうから。ちょっとしたことで遊びたいんですよ。喫茶店で主役が注文するシーンで、注文を取るウエイトレスに何かさせたいなあとか思っちゃうのね。何度注文聞いても覚えられないとか(笑)。大筋とは無関係でそのシーンだけで終わるんだけれども、「この人もたっぷり生きているんだ」という色づけをしていくと、ドラマ全体が変わってくる気がするんです。 

奥田 そういう細かな人間観察は、山田さんがあまり集団に入っていかないところから生まれるわけですか?

山田 それもありますね。だいたい小説書く人なんて、集団の中に入っていかないでしょう?

奥田 いかないですね(笑)。僕もいつもそとから見てます。

山田 それと、僕は下町(浅草)出身で、下積みといえば下積みの人たちの中で長く生きてきたものですから、常に「そんなこと言えた俺かい」と自分で自分をいなすような気質が形成されてるんですね。

奥田 そういうことをちゃんと自分自身で問える人は、今は相当少ないんじゃないか。みんな「自分が主役」という意識ばかり強くて。

山田 ドラマというのは主役以外に他者をいっぱい書かなきゃいけませんでしょう。どれだけ他者を描けるかが脚本家の優秀度の基準だと勝手に思っているところがあるんです。 

(中略)

奥田 山田さんはいつも人間のわびしさみたいなものをずばりと正直にお書きになりながら、それでいてどこか「捨てたもんじゃない」というニュアンスをそこに足してくれるので、救いがあります。

山田 それは私の弱さでもあります。結局自分はそれでも生きているんですから、作品でそんなに希望がないなんて、徹底させられない。

奥田 だけど今はドラマでも小説でも、どぎつさを競い合ってるような流れもある。救うと甘いと言われちゃったり。

山田 大目に見ていかないと何事も歪むという思いがあります。いつもいつも厳しく裁いていたら生きてけない。それは甘いということとはまた違うと思うのですけれど。

奥田 ええ。よく文学評などで、ここから先が文学なのに作者はここで引き下がってしまってる、というのを目にします。でも僕は「入っていかない優しさ」って好きなんですよ。

山田 僕も。みんなで深く問わない。アン・タイラーという作家の小説なんて好きですね。彼女の小説は活字が二段組みで四百ページもあるボリュームなのに、事件はほとんど何も起こらないし、深く問わないんです。例えば『ここがホームシック・レストラン』という作品では、お父さんが出て行ってしまい残された家族が暮らしていて、ある日家族が揃った誕生会の席に父親が帰ってくるんです。そんな局面でもやはり深く問わない。しかし決して甘くはない。そのほどがいいのね。 

(中略)

奥田 ところで創作の大先達としてお聞きしたいのですが、ご自分のドラマが思いどおりの演出や役者の演技にならなかったとき、どうやってご自分を納得させますか?

山田 演出家も役者も他者ですから、自分の理想と違うのは当然です。ただ違い方の程度が問題で…、あまりにも低いレベルで違った場合は、二度とその方と一緒にやらないのが基本の対処法です。その逆で、脚本よりうまく演出してうまく演技してくれてこっちが得することもあるんです。そういうときは黙ーって自分の手柄のような顔してます(笑)。ですから出来に納得いかなくても、得したときもあるしなと自分に言い聞かせて、許せる範囲では黙ってますね。

奥田 作品が一〇〇%いい出来だったにもかかわらず視聴率がとれなかったなんてことも、ままあると思うんですが…。

山田 一〇〇%ということはないけれど、これだけ一生懸命書いてみんなよくやったのに、どうしてこれしかとれないんだろうと思うケースはありますね。 

奥田 そういうときに冷静でいられるんですか?

山田 うーん。そうですね。視聴率というのは膨大な人数を示してるでしょう。なんだ一〇%かって言っても数百万人とか膨大な数の人たちが見てるわけですね。だから僕はもうそれでいいんだって自然に思ってしまう。むしろ、失敗したと自覚している作品で、送られてきた完成映像のビデオ見てもけっとばしたくなるようなときに、視聴率一五%行きましたなんて聞くと、絶望しますね。だれも見なきゃいいのにって(笑)。 

(中略)

奥田 作品の売れ行きに関して、頭では「人生にこのぐらいの運不運はつきものである」とわかっているんですが、それを受け入れるのは大変ですね。

山田 小説は本屋さんの商品回転が速いでしょう。あのスピードでは、一つの作品を一度も目にしない人がいっぱいいるんじゃないかと悲しくなってしまう。まあドラマの場合でも、ビデオデッキが普及してない時代、僕の作品の放送時間に街を歩いていて「ああこんなに大勢の人が僕のドラマ見てないんだな」って(笑)。 

(中略) 

奥田 配役をあらかじめ決めて書く場合もあるわけですか。

山田 ええ。役者を決めてから脚本を書くのがほとんどです。鶴田浩二さんとか笠智衆さんとか、特別に「この人じゃないと嫌だ!」ってこともあって、そういうときは自分で説得にも行きます。プライベートで役者さんと会うのはごくまれですけれど。

奥田 じゃあ『男たちの旅路』第一話で吉岡司令補が「おれは若いやつが嫌いだ」という台詞も、最初から鶴田さんありきだったんですね。

山田 そうですね。まさにあれは役者が先で。

 奥田さんの作品で映像化されたものはありますか?

奥田 『最悪』が二時間ドラマになって三年前にBS-i(TBS系デジタル放送局)で放映されました。

山田 BS-iには僕も一本書きましたけど、結構豪華キャストでつくったのに全然だれも見てなくて…。

奥田 やっぱり今は何も起きないドラマみたいなものは、一般のテレビ放送では難しいのでしょうか。

山田 企画が通らないんですね。よくない傾向だと思いますねえ。テレビってそんなにストーリーを必要としない、もっと細かないきさつを楽しむメディアだと僕は思うんですけれど。

奥田 本当にそうですよ。何か起きたときに人はどう感じるか、どう行動するのか。それがつぶさに描かれるものを読んだり見たりする喜びが、もっとあってもいい。

山田 そうですね。ドラマも小説も。

奥田 タレント主導のドラマや。プロットありきの小説もいいけれど、僕は自分の曖昧さ、滑稽さなどのディテールを細かに「優しい」目線で描く小説を書いていけたらと思います。

山田 ええ、ぜひ。

 

 以上、「文芸ポスト」Vol.26(小学館)より引用。