山田太一先生の作品は、代表作でなくて知名度の低いものでも秀作・佳作がある。テレビ『ちょっと愛して…』(1985)もコミカルでちょっとビターな佳品だが、その放送の際のインタビュー記事を最近入手できたので以下に引用したい。広報誌「ららぽーと」No.11(1985年6月号)に掲載されたものである。
天下国家の事でなく、生活のこまやかな味わいにこだわるには、テレビドラマが一番適していると思うんです。
たとえば——。
「もめてもいいから、もめる相手がほしい」と女が言う。
「寂しくなっちまったもンは、こんなふうにして所帯、持っちまうのかもしれねえなあ」と男がつぶやく。
コンピューター結婚相談所の紹介で知り合ったハイミス(樹木希林)と、独身の四十男(川谷拓三)。モテない一組の男女が好き嫌いが定かでないまま、孤独から逃れるようにして連れ合うまでの道のりを、淡々と描いたドラマ『ちょっと愛して…』(日本テレビ系四月放映)の中で、山田さんはこの二人に、そんなセリフを吐かせている。
作品は違っても、その都度、テレビの前の老若男女をウンとうなずかせて、それでいて何気ないセリフの数々。一体どこから仕入れて来るのか、山田作品の〈不思議・その一〉です。
「仕入れて来るというよりも、全部自分の事なんです。僕にも孤独感もあれば、寂しくて誰だっていいから相手がほしいと思う時もある。ただそれを、自分の事として書くと恥ずかしいけれど、これ、友達の事なんだけどって話すと、話しやすいって事ありますでしょう。それと同じ」
つまり、登場人物の口を借りて……?
「そうですね。ただ、ドラマって登場人物が同じレベルでぶつかり合わないとドラマにならないので、男の言い分があれば、女の言い分もそれと同じ高み、熱度を持たせて書く、ということです。でも、あまり熱度、オクターブが上がると僕の作品らしくなくなりますので、盛り上がらせないで盛り上がっていくように…っていうか」
そのあたりが山田作品の神髄。ドラマチックじゃない普通の人々の生活でも、山田さんの手にかかると、なぜドラマになるのか〈不思議・その二〉です。
「そうですねぇ、僕がいかに生活者の細部に興味を持っていても、テレビを見て下さる方々に思い当たるフシがなければ誰も見てくださらないわけね。つまり、高度成長時代だったら、男は仕事第一で、女房の寂しさにかまっていられるか、みたいなことだったのが、今は仕事より奥さんと一緒にいる定年後の方が長かったりして、いやおうなしに自分の生活の周辺に目がいかざるを得ない時代状況になってきた。しかも、生活者って自分の生活を生きるとともに、その生活を細かく味わいたいって思っていると思うんです。それは生活者としての成熟だと思うんですが、その味わいの視点をテレビドラマが提供してるっていうか…。結局、政治も経済も社会状況もモラルも、家庭に反映した部分しか書かないっていうのが僕のホームドラマなんで、そんなところに殺人事件なんか入れて盛り上がらせちゃったら、いっぺんに他人事になってしまうわけです」
事件といっても、女房の浮気ぐらい?
「ええ、でも、主婦の浮気やアル中が、その時代の主婦の感情を代弁していた時代もありましたけど、今はもっと女性の成熟度が増したと思いますね」
その女性ですが、山田作品の主人公には美男美女が少ない感じ。それが〈不思議・その三〉です。
「あんまり美男美女だと、現実感がなくなってしまうんですよね」
いわゆる美女とは言い難い(?)女優の樹木希林さんが「もめてもいいから、もめる相手がほしい」と涙ながらに言う時、この記事を読んで下さるあなたが、もし〈確かにそうよ。考えてみれば、うちのドジ亭主にだっていいとこ、あるのよ〉とテレビの前で心を入れかえたとすると、それは山田さんの思うツボにはまったことになる。
だって山田さんはこう言うんだもの。
「それを見終わると、今まで持っていた現実感が、ちょっと変わるっていうドラマを作っていきたいですね」と。(文:久保田弘美)