私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

和田誠 アニメーション上映会+トークショー レポート(2)

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【『恋の大冒険』】

 日本では珍しいミュージカル映画『恋の大冒険』(1970)では、和田氏がタイトルデザインや劇中アニメーションを担当している。

 

和田「羽仁進監督がピンキーとキラーズを気に入ってて。「恋の季節」が大ヒットしていたころですね。中でも今陽子のことを気に入ってて、彼女を主役にミュージカルをつくりたいと。いずみたくさんに相談を持ちかけて、監督でなくいずみさんからぼくのところへ電話がかかってきた。タイトルデザインだけの予定だったんだけど、シナリオを見せられたら「こうしたらどうですか」って言っちゃう(笑)。

 主人公がカバーガール(になれる)かと思ったら “カバガール” だったっていう設定で、アニメのカバのアテレコをやらされてがっかりする。ぼくは「そのアニメをつくったらどうですか」「アニメのカバとデュエットはどうですか」って言ったの。だいたいそうなるんだけど、じゃあきみがアニメをつくれと(一同笑)」

 

 ラストで列車をアニメのカバが追いかけてくるシーンは印象的。後年の『火の鳥』(1978)など日本でも実写の中にアニメを入れ込んだ作品が出てくるけれども、本作はその嚆矢であろうか。

 

和田「もともと羽仁さんが考えていたタイトルは “大失恋” で、主人公が田舎から集団就職で出てきたんだけど、好きな男性は由紀さおりの演じるモデルとうまくいっちゃって失恋する。それで田舎へ帰るところで終わるんで、ぼくはミュージカルだから明るく終わったほうがいい、ピンキーをカバが追って来て東京へ引き戻すというのはどうですか、と。

 シナリオの打ち合わせをしているホテルに山田宏一渡辺武信がいて、ぼくは全員と初対面。いろいろ口出しして厭な顔されたけどね」

 

 山田宏一氏と和田氏は、後に『たかが映画じゃないか』(文春文庫)、『ヒッチコックに進路をとれ』(草思社)などの共著を発表。 

和田由紀さおり佐良直美前田武彦、DJで人気だった土居まさるとか、みんなめちゃめちゃ多忙だから、思うように撮れない。羽仁さんはいらいらして。

 ぼくは中学生くらいからジーン・ケリーとか(ミュージカル映画を)見ていて鍛えられてるから、初号試写で出来上がりを見てそんなでもないなと思っちゃった。ぼくが想像したようになってないなと思ったんですけど見直したらよく出来てた。アニメの部分が特によく出来ていたかな(一同笑)」

 

 後に多数の作品で組むアニメーター・堀口忠彦氏との出会いもあった。

 

和田「原画はぼくが描くんだけど、アニメにしてくれたのは虫プロにいた堀口忠彦さんっていう名人ですね。その後もずいぶん、CMとか彼にお世話になっています」

 

【『マヨネーズ物語(1977)】

 PR映画のアニメ部分も担当。コミカルで実写部分も全編見たかった。

 

和田「キューピーマヨネーズのPR映画です。イラストレーターの山下勇三がキューピーの仕事をよくやってて、それで彼のところに話が来て、彼からぼくのところに協力してよって。ほとんど彼が構成・演出で、個別の絵がぼくですね」

【『ウエスト・サイド物語』のOP】

和田「1977年にTBSが日本で初めて『ウエスト・サイド物語』(1961)をテレビで放送して、それでTBSの人がぼくのところへ来て、判らない人もいるだろうから、映画の始まる前に出て解説してくれと。淀川長治さんみたいなことやるの? ぼく、そんなのできない。そこを何とかって言うから、それよりミュージカルの歴史みたいなのを遡ってアニメーションにしたらどう? って言ったら、それで行きましょう、あなたが言ったんだからアニメをつくりなさいと(一同笑)。

 自分のレコードの中からミュージカルのサウンドトラックをありったけさがし出して原画を描いて堀口忠彦くんに頼んで。割と急で、レコードさがすのも時間がかかるし。

 『オズの魔法使』(1939)で「Over the rainbow」を唄ったころから映画がカラーになるから、ぼくのアイディアでアニメもそのあたりからカラーになります。これは資生堂の一社提供です」(つづく)