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和田誠 アニメーション上映会+トークショー レポート(1)

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 イラスト・装丁・エッセイ・作曲・映画監督などマルチな分野に才能を発揮する和田誠。和田氏はテレビ・映画などのアニメーションの仕事も多く、その作品の数々が11月、駿河台にて上映されて和田氏のトークが行われた。聞き手は濱田高志(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りなので、実際の発言と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)

 

【『みんなのうた』(1961〜)】

和田「ぼくは学生時代からテレビのコマーシャルをやってて、それを知ってたNHK青少年部の後藤田(後藤田純生)さんって人が呼んでくれて、アニメーションで30分の童話をつくりたいと。ひとりで30分は無理だから、ひとり10分の3話オムニバスにしよう。最初はぼくと中原収一、小薗江圭子さん。小薗江さんは「この広い野原いっぱい」の詞を書いていて、この人は詩も書くし、アニメもできたんですね。

 ぼくは宮澤賢治の「オツベルと象」(1960)。音楽は “モダンジャズ3人の会” がいい。アニメの音楽がジャズって、当時すごく珍しかったですね。

 後藤田さんがアニメーションと音楽の組み合わせって面白い、毎日アニメと音楽の流れる番組をつくりたいと。それで始まったのが『みんなのうた』。第1回目が「誰も知らない」で、谷川俊太郎さんの詩ですね」

 

 和田氏は『みんなのうた』でアニメを幾本も手がけたが、残念ながら映像が現存しないものも多い。映像の残っている「誰も知らない」(1961)、「ママごめんなさい」(1964)、「ねこふんじゃった」(1966)、「4人目の王さま」(1967)、「バケツの穴」(1968)が上映された。「バケツ」「王さま」はカラーで、他はモノクロ。どれもかわいい絵柄で見ていて愉しい。

 

和田「もう原画は残ってないです。普通の画用紙に、あのころあまり出回ってなかったサインペンで描いた。

 「ネコふんじゃった」は切り絵です。モノクロの3本は、ぼくが全部描いて動かすのもやりました。NHKにある16mmのモノクロにしか映らない撮影機で真上から撮って「ママごめんなさい」でパパのヒゲが増えるところもぼくが1本ずつ描きました。

 このころはライトパブリシティって会社に勤めてたんで、終わってから行ったときもあるし、サボって行ったこともある。会社が銀座で、当時NHKは内幸町でしたね。

 (「バケツの穴」を唄う)熊倉一雄さんは井上ひさしさんの舞台で活躍していたし。『ヒッチコック劇場』の冒頭(のヒッチコック)の吹き替えとかね。

 直接会ったの(歌手)は「4人目の王さま」の九ちゃん(坂本九)だけ。唄ってるときも立ち会って「1、2、3って言っていいですか」って。この曲はぼくの作曲で、アレンジは八木正生さん。このころからカラーになり始めました」 

【『MURDER!』】

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和田「 “アニメーション3人の会” が草月会館で発表していて、ぼくと宇野亜喜良さん、横尾忠則さんが声かけられて。宇野さんは『La Fate Blance(白い祭り)』っていう宇野さんらしい綺麗な作品。横尾ちゃんはポップなアニメーションでしたね。

 ぼくの『MURDER!(1964)は音楽が八木正生さん。ぼくが依頼したからお金払わなきゃいけないんだけど「いいよ」って言ってくれて(笑)。いっぱい頼みましたね。ぼくがお金のこと言わないから、向こうも言わない。親しくしてくれて、よく飲んだり、いい兄貴分でしたよ。

 草月ホールでは映画だけじゃなくてジャズを聴く会も月1回やっていて、八木さんは常連のようにピアノを弾いてて。風変わりなおじさんがいて、その人が植草甚一さんだったり。そこで知り合った人でいちばん親しくなったのが八木さんですね。『網走番外地』(1965)の主題歌も八木さんのアレンジですね」

 

 作曲家・ジャズピアニストの八木正生は和田氏の作品のほかにも多数の映画音楽を手がけ、ネスカフェゴールドブレンドのCM音楽やサザンオールスターズの編曲などでも知られた。1991年に逝去。(つづく

 

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