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和田誠 アニメーション上映会+トークショー レポート(3)

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【ゴールデン洋画劇場】

 フジテレビの映画放送枠「ゴールデン洋画劇場」のオープニングアニメは、広く知られている。1981〜1995年までの初代と1997〜2001年の2代目がある。

 

和田「1981年でしたっけ? フジテレビの人から、これから始まるんでタイトルをつくってくれという依頼を受けて、その日によって出し物がいろいろ変わるんで(さまざまなジャンルを)全部表現できるようなタイトル。音楽は八木正生さん。どういう音楽をつくればいいんだって言われて、数秒ずついろんなジャンルをって言ったら、そんなの無理だよって。その八木さんのメロディに合わせてアニメーションをつくったんです。

 1997年にフジテレビから電話がかかってきて、ちょっと変えたいって言うんですよ。最初のは40秒だったんですが、CMが入るから本編がカットされるって視聴者から文句が出て、それでタイトルを短くすることになって30秒。八木さんは亡くなっていたので、ピアニストの佐山雅弘さんにお願いしました。またしばらくして電話があって、今度は何秒? って訊いたら、もういりませんって(一同笑)。

 アニメは堀口(堀口忠彦)くんです」

 

【『怪盗ジゴマ 音楽篇』(1987)】

 寺山修司脚本・作詞の短篇ミュージカルアニメ『怪盗ジゴマ 音楽篇』では、和田氏が原画を描いて演出し、作曲も担当。唄を盗む怪盗ジゴマ(声:斎藤晴彦)と盗まれた女性(声:由紀さおり)たちを描いた佳品である。

 

和田「広島アニメーションフェスティバルの中心になって動いている片山雅博さんに審査員で来てよって言われて、審査されるほうがいいって言ったら、じゃあそうしなさいと。結局何の賞も取らなかった(笑)。

 何年も前に寺山修司が書いた舞台劇の台本があって、実際に上演されてるんです。ポスターは宇野亜喜良さん、舞台装置は横尾さんで、ぼくは曲を少しつくりました。

 アニメーションにするためにぼくが曲をもっとつくって、八木さんにアレンジしてもらった。これ、曲がいいでしょ(一同笑)。八木さんはフルオーケストラでやってくれたんですね。ぼくは原画を描いて、堀口さんにアニメーションを頼んで。

 ジゴマの声は斎藤晴彦さんは、最初にお願いしました。最近亡くなって残念なんだけど。由紀さおりさんも最初に。全部ぼくの知り合いというわけではなくて、オペラの人もいますし。仲代圭吾さんはシャンソン歌手で、仲代達矢さんの弟さんです。歌い手がいいと、曲もよく聞こえるよね。

 こういうアニメーションをつくりたいと思ったのは、ずいぶん前なんですよ。由紀さんの役もピンキーで、男の役はキラーズに割り振ろうかと思っていたら、ビートルズの『イエローサブマリン』(1968)が日本へ入って来た。あれは傑作だったし、こういうのが出てきちゃったらなと思って一旦あきらめた」

 

 広島アニメーションフェスティバルで上映された翌1988年に、和田氏が監督した実写映画『快盗ルビイ』と併映された。 

(挿入歌「木の葉に書いたラブレター」は2015年に「和田誠ソング・ブック」に収録された。)

【その他の発言】

 他に東芝の「マツダ時間スイッチ」「トランジスタラジオ」やキヤノンのCMも上映された。

 

和田「いまのCMは15秒ぐらいですけど、あのころ長いCMは90秒ありましたね。CMの絵はだいたい自分で描いてます。まだ堀口くんと知り合っていなかった」

 

 和田氏は先述の通り、『みんなのうた』の「四人目の王さま」や『怪盗ジゴマ 音楽篇』では作曲も手がけていて音楽にも造詣が深い。

 和田氏の私淑するひとりが作詞家・作曲家・放送作家三木鶏郎氏。1971年、和田氏の企画でLP「三木鶏郎ソングブック」が制作されている。

 

和田三木鶏郎さんは戦後すぐにNHKラジオで発表していて、政治風刺が多かったからNHKが厭がって、それで民放へ行った。ぼくはまだ小学生だったけど、面白いから鶏郎さんの曲をどんどん覚える。コマーシャルソングも全部覚えて。鶏郎さんにどうして惹かれたかっていうと、それまでインプットされてた童謡や軍歌と違ってバタくさいというか。

 それで鶏郎さんのCDができたらいいなって、デュークエイセスに相談して、東芝EMIに持ち込みました」 

和田「ある日、八木さんの家に言ったら、この前亡くなった高倉健さんが立っててびっくりした。健さんが唄って、八木さんがピアノ。これからレコーディングするから、練習してたんですね。健さんは腰が低くて、1曲終わる度に「もう1曲唄わせていただけますか」って八木さんに頭下げるんです。「俺の裏街」っていう曲で、健さんに「十七、八の まだ俺ァガキだった」と「十七、八の 俺ァまだガキだった」のどちらがいいですかって言われて、ぼくわからないから「まだ俺ァ」がいいですっていい加減に言ったらそうなりました(一同笑)」

 

 和田氏は現在も映画を撮りたいという思いが「ちらちら出てきます」とのこと。年齢を感じさせないお元気さだった。 

 

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