――その後も映画は書き続けてますよね?
野沢 異業種ブームの頃に、北野武さんが手を入れる前の『その男、凶暴につき』や村上龍さんの『ラッフルズホテル』を立て続けにやりました。これがいろんな意味で勉強になりましてね。その後のエネルギーの源になったというか(笑)。「もう絶対にプロの監督としかやらない」みたいなね。ただ『ラストソング』は出来上がった映画を見て、自分でも素直に感動できました。
――テレビと映画の違いは?
野沢 映画って、やはり監督のものじゃないですか。だから、映画だけではどうしても鬱屈してしまいますね。テレビのほうが常に中核にいるという実感がありますね。もちろん、テレビでも数字を取るばっかりじゃないっていう自覚はあるんですよ。自分が書くドラマのベースは13%だと思ってますし。それでも、年にワンクールずつ仕事があったんで。30%は一生に一回くらい取ってみたいなと思ってましたね。でも、30%取ると作家って変わるらしいんですよ、やっぱり(笑)
――『眠れる森』で30%取ったじゃないですか。何か変わりました?
野沢 僕は……あんまり。もともと儚いもんだと思ってますから。
脚本だけじゃ、我慢ならない
――これだけ人気脚本家として活躍されてるわけですが、その上小説も書き続けてというのはすごいですね(小説に女性の主人公が多い理由について「虐げられている者が逆襲するダイナミズムがあるし、別の生き物だから宇宙人を描くような面白さがある」と語る)。
野沢 乱歩賞に応募している時は、とにかく3か月時間を作って、もう集中的にやったという3年間でした。やっぱりギラギラしてましたねぇ。デビュー当時の「なんとか一線へ行こう」って感じが蘇ってきてたんで。今、思うと懐かしいですけれども、あの時は早くこういう日々が過ぎ去ってくれないか、と思ってましたね。乱歩賞を取った時に一番嬉しかったのは、もう郵便局に行って、速達で応募原稿を出さなくていいってことでしたから(笑)。
――なぜ3年間も応募し続けられたんですか? 人気脚本家・野沢尚の名前だけで小説の出版もできたと思うんですが。
野沢 良い脚本は集団作業的な色彩が非常に濃くて、いろんなスタッフのプライベートな話からくる人間観とかを吸収したりする。演出家が考えたり、みんなが知恵を出し合って工夫していくみたいな。時には、作家の想像力を上回って面白くなることもあるんですよね。それでも、自分一人で責任を取れるというか。失敗も成功も自分一人というようなところに行きたかったんですよ。
――そういえば、野沢さんの脚本はト書きが小説のように書き込まれていると聞いたことがあります。
野沢 それがある時、自分の書いたシナリオをもとに打ち合わせをした時、ト書きが消されてたんですよ。セリフを削られるのはわかるんだけど、ト書きを削られるのは許せなかったんですね。それは作家の世界だろうと。つまり脚本では所詮こうなんですよ。それで、この表現形式では自分の本当にやりたいことはできないってわかったんでしょうね。それに脚本はボツになると紙クズなんですよ。発表する場がないわけですから。
――それで小説を書こうと。
野沢 我慢ならなくなったんでしょうね、脚本だけの世界じゃ(笑)。やっぱりせいぜい100人、200人しか読まないんですよ。いくら、面白いモノを書いても、いくら美しい文章書いてもね。良い文章書きたい人はね、脚本なんかやっちゃいけないんですよ。脚本で求められているのは、良い段取りと良いセリフだけですから。(つづく)
以上、『週刊SPA!』1999年11月17日号より引用。