以下に引用するのは「週刊SPA!」1999年11月17日号に掲載された故・野沢尚氏のインタビュー記事である。
この取材は脚本を担当するテレビ『氷の世界』(1999)のスタート前後に行われたとおぼしい。この時期は野沢氏が1997年に『破線のマリス』により江戸川乱歩賞を受賞した2年後で、『呼人』(講談社文庫)を刊行し、原作・脚本を務めた映画版の『破線のマリス』(2000)が待機中であった。記事では新作『氷の世界』についてと、シナリオ創作と小説執筆を両立するスタンスについて話している(文中の注釈は、本文下にあったものをねじ込みました)。
――昨年の『眠れる森』に続いて今回『氷の世界』もミステリーですね。
野沢 大体、テレビドラマって、今は主演のツートップが決まってから企画が始まるんですよ。『眠れる森』は「中山美穂と木村拓哉で何か」という、まさにそのパターンだったんですけど、今回は珍しく企画ありきのところからスタートしたんです。
――でも “月9” でミステリーというのは正直、驚きました。
野沢 “月9” が王道にしてたラブストーリーの手がなくなってきたってことでしょうねぇ。やっぱり『ロンバケ』でもう満腹感になった。あれを超えるものが出てないですよね。実は今回、“月9” っていう枠自体にもかなり抵抗あったんです。過去に降板したこともあるんで(野沢氏は96年『おいしい関係』を当時の月9的要望と合わず途中で降板している)。最初は『眠れる森』と同じ時間帯でやらせてほしいと言ったんですが、まあ枠の性格とかを考えなくてもいいという話も上層部の人からあって。じゃあやってみようか、と。
――保険業界を舞台に選んだんですか? やっぱり和歌山のカレー事件などがヒントに?
野沢 身内が犠牲になるパターンが圧倒的に多いわけですから、鬼畜的な犯罪を描くことができる。つまり一番現代が見えるモチーフなんですよ。“月9” がラブストーリーの王道をいっていた時代だったら、絶対通らない企画だったと思いますけど。背景が複雑でも、ディテールがしっかりしていればみんな見てくれるんだという確信を『眠れる森』で持つことができたんです。
――以前、インタビューで「視聴者の質を高めたい」っておっしゃってましたが、それがうまくいった?
野沢 ある殺気みたいなものを視聴者に与えるようなことをずっとやりたかったんですよ。一回も見逃さずに緊張感を持ってすべてのセリフを聞いてもらって、トイレに立つのはCMの時だけ(笑)。視聴者と作り手の間に緊張感がないようなドラマでも、楽しんで見ているのはどうしても許せない。
――ドラマって、3、4話くらいまで書いたところで1話目がオンエアされて、その視聴率を見て次の展開を調整するとかよく言われますよね。
野沢 テレビドラマは大体生き物として捉えられてきたんですね。視聴者の反応を見て作り変えていくというような。でも、僕は最終回まで12時間ドラマとして最初から考えて作っていますから、様子を見て直すことは絶対ないです。
――そういう書き方の脚本家の方ってほかに…。
野沢 皆無です。僕は正しい作り方としてそれしかやってこなかったんで、逆に先を考えずに書いていくなんてどうしてできるんだろうと、そっちのほうが不思議ですね。だから、僕のような脚本家が一人ぐらいいてもいいんじゃないですか(笑)。やっぱり自分の見たいものが世の中にないんで、自分で作ってみるかって気分はありますね。
――脚本家デビューは映画なんですよね?
野沢 『V・マドンナ大戦争』という映画です。これもいろいろありましてね。監督が勝手に脚本を直し始めたんです(ラストを夢オチに改ざんされたり、野沢氏としては納得できない映画化だった)。「これはないだろう!」と猛然と怒りましてね。「だったら、名前を外してほしい」とまで言いました。23歳でまだ若かったんでしょうね。当時からプライドは高かった。(つづく)