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堀川とんこう × 中村克史 × 長谷正人 トークショー“山田太一ドラマの演出”レポート(1)

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 脚本家・山田太一の代表作としてよく挙がるのが『岸辺のアルバム』(1977)と『男たちの旅路』(1976〜1982)。

 7月に早稲田大学演劇博物館にて『岸辺のアルバム』のプロデュース・演出を手がけた堀川とんこう、『男たちの旅路』を演出した中村克史両氏のシンポジウム“山田太一ドラマの演出”が行われた。聞き手は、『敗者たちの想像力 脚本家山田太一』(岩波書店)の長谷正人・早稲田大学文学学術院教授が務める。山田太一先生は途中まで客席でご覧になっていて、途中で退席された(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。 

敗者たちの想像力――脚本家 山田太一

敗者たちの想像力――脚本家 山田太一

 

【山田作品との出会い】

長谷「別に演出法というわけではなく、演出家はシナリオを深くたくさん読み込む方ですので、ある意味で最もよく読んでおられる方。山田ドラマの魅力をどう感じてこられたか、どうつくってこられたかを聴けたらなと」

中村「山田さんと壇上に並んでのシンポジウムのようなことは何回かあるんですが、前の席からにらまれて喋るというのは初めての経験で緊張しております(笑)。

 ぼくはNHKに入って地方に赴任したんですが、その後でドラマ部へ引っ張られまして、連続テレビ小説藍より青く』(1972)。いまと違ってテレビ小説は1年間。週6日90分を1年で、75時間。ぼくは演出チームのいちばん下。20代半ば過ぎで、山田さんはまだ30代だったと思います。

 その数年後に“土曜ドラマ”ができまして。1974年にNHKの“ドラマ部オイルショック”という大事件があって、長谷先生の『敗者たちの想像力』にも書かれてますが、NHKの先輩スタッフと大河ドラマ勝海舟』(1974)の倉本聰さんの大喧嘩があって、倉本さんは降りた。東京を離れて北海道の富良野に行かれる。テレビ小説や“水曜ドラマ”でもトラブルになってて、放送作家組合にNHKスタッフのワーストリストもできてたと。ドラマ部長が後に会長になられた川口幹夫さんでしたけど、もっと脚本家を大事にしよう、委嘱料も上げようと。大スターよりも脚本家先生より上げる。テレビ小説1年はリスクが大きいから半年にして、1年の前半は東京、後半大阪の局にして。そして新しくシリーズドラマをつくりたい、ひとつのシチュエーションで75分くらいのを。それには松本清張シリーズのほかに、脚本家のシリーズをつくりたいということになって、最初のが山田太一シリーズの『男たちの旅路』」

堀川「私の出身局のTBSには山田さんとの縁の深い大山勝美さん、鴨下信一さんがいらっしゃって、私は山田さんの作品で演出したというのは最近までなかったんです。『岸辺のアルバム』ではプロデューサーでしたけど、演出したのは第12話だけで。最近になって、私もTBSを離れて年月が経って、テレビ朝日で山田さんが書かれた『時は立ちどまらない』(2014)と『五年目のひとり』(2016)を。おそらく山田さんが、人がいないなら堀川あたりでと言ってくださって実現したんじゃないかと思うんですが」

 

【『男たちの旅路 (1)』】

 『男たちの旅路』は吉岡司令補(鶴田浩二)や若いガードマン(水谷豊、桃井かおり森田健作柴俊夫ら)がさまざまな事件に毎回遭遇するシリーズ。中村氏がメイン演出を務めた。

 

中村「タイトルバックのグラウンドで、『相棒』(2000〜)の特命係の水谷豊さんと千葉県知事がいっしょに走っていて(一同笑)、感慨深いものがあります。銀座の電光掲示板に“土曜ドラマ”と走らせたメインタイトルの前に“山田太一シリーズ”と出る。脚本家のシリーズにしたのが新しい。山田さんも自分が先頭を切るんだから、後の人に迷惑がかかるといけないからと力を入れて書いてくださった。

 当時のドラマとしては、カット数が少ないですね。割ってない。切り返しを頻繁にやらない。これだけの戦中派世代の心情を吐露する長台詞で、割れなかったんですね。稽古場のときから、鶴田さんはすべてうちで台詞を入れていらっしゃるんです。後で聞いたら、毎回2冊ホンを渡してると。1冊はたくさん書き込みして、もう1冊はまっさらの状態で稽古場へ持ってくる。それが鶴田さん流の美学ですかね。その粋がりみたいなのを外してはいけないということで、ずっとカメラで撮りました。

 まだ30越えたばっかりで、新しいシリーズをつくろうということで、和田勉さんや清水満さんがチーフディレクター松本清張シリーズをやって、人手が足りなくなって若手を登用しようということに。そういう形で任せられて。若くて鶴田さんの怖さも判らなくて、必死でぶつかっていった感じがあります。鶴田さんもNHKのドラマは初めてで熱心にやってくださって。前に松方弘樹さんが記者会見で、NHKはものをつくる現場じゃないと言ったんですが、鶴田さんは見ると聞くとは大違いで熱気があっていい現場だと、これもまた記者会見で言ってくれて。それで“オイルショック”以来のことがやっと落ち着いたころです」

長谷「鶴田さんともNHKと対立がありましたね」

中村「はい、歌謡番組で「傷だらけの人生」の歌詞についてのトラブルが」

長谷「鶴田さんをキャスティングするというのがこのドラマの?」

中村「ええ、この間亡くなられたプロデューサーの近藤晋さんが、東映に何日も通ってキャスティング。あの世界はまず訪ねていくと、3時間くらい待たされる。山田先生と近藤さん、ぼくとで伺ったら2時間くらい待たされて、ゆっくり降りてきて、夜中まで若いころのこと、特攻隊のことを話されて。山田さんは吉岡という主人公に鶴田さんの経験を生かして。出撃する前の満天の星を見たいと言ったという話は、似たようなことを伺ったときに聞いた記憶があります」

長谷「鶴田さんが話されたことをベースに」

中村「本人も山田先生の長台詞を納得して演じてる感じが見えますね。何かというと若い奴が嫌いだっていうのも、若い奴を愛しながら言ってる感じがします(笑)。自分の青春を語ってね。山田さんと鶴田さんとスタッフの暗黙の認め合いがありました」

長谷「反響はいかがでした?」

中村「お手紙、ハガキをたくさんいただいて、あるときガリ版の本2冊にしてスタッフや出演者にお配りしました。父親世代にはっきり言ってもらうと、そういう経験がないと。高度成長期で父親は帰ったら寝てるだけ。それがあって、おっせかいおじさん的な屈折した、嫌いだと言いながら口を挟んでくれるというのに反響があって」

長谷「ほんとに嫌いなら口聞かないですものね」(つづく) 

 

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