私の中の見えない炎

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鶴橋康夫監督 トークショー レポート・『魔性』(1)

 2012年6月29日に、銀座シネパトスにて木曜ゴールデンドラマ『魔性』(1984)の上映会と鶴橋康夫監督のトークショーが行われた。

 樋口尚文『テレビトラベラー 昭和・平成テレビドラマ批評大全』(国書刊行会)の出版記念イベントという触れ込みで、樋口氏はツイッターにて「今やテレビでは封印されし衝撃の傑作。二度と観られません!」と書いている。たしかに再放送はまず不可能だろう。 

 鶴橋監督と樋口氏のトークは、上映の前後に行われた。サングラスの鶴橋監督は70歳とは思えないパワフルさだった。  

【『魔性』の想い出】 

樋口「出版にかこつけて、私がずっと見たかった『魔性』を見ようと(笑)」 

 

 鶴橋監督の初期の作品として『新車の中の女』(1976)がある。浅丘ルリ子主演のサスペンスドラマだという。 

 

樋口「(古いLPを取り出して)これは『新車の中の女』のLPです。30年前、見ててびっくりして、テレビドラマの規格をはみ出してる。この作品が浅丘さんとの始まりですか」 

鶴橋「ええ、このころの浅丘さんは35キロくらい。ぼくは49、でもいまは73キロ(笑)。浅丘さんは寡黙で、ぼくはプレッシャーを感じた。「ここで泣けったって泣けない。私の中の気持ちがね」って。でも長く待たされても文句ひとつ言わないんですよ。それと、よく股旅ものの唄を歌ってましたね。「あれをご覧と指差す方に~」って(笑)」 

 

 鶴橋監督と浅丘ルリ子は何本もの作品で組んでいて、樋口氏は『テレビトラベラー』にて、ふたりの相性を「運命的なセッションの見事さ」と評する。 

 

鶴橋「浅丘さんに「次何をやるの?」と。で、吉永小百合さんも死刑囚を演じたし、私もやってみたいと。でも死刑囚は化粧ができない。浅丘さんと言えば当時も厚化粧のイメージでしょ(一同笑)。だからか、やっぱり即答にならなかったね(笑)「『魔性』というタイトルは厭」「すっぴんも厭」って。人形師だから顔料を使えると聞いて、浅丘さん急に目を輝かせてやると(笑)」 

樋口「この作品はすごいですよ。木曜ゴールデンドラマっていう花登筐さんみたいなのをやってる時間に、鶴橋アワーが始まるみたいな感じで」 

 

 浅丘ルリ子の主人公が、親しみを感じるかもめが、劇中に何度も登場する。主人公の孤独な心情を伝える重要なキャラである。 

 

鶴橋「このかもめは、美術の人が一週間伊豆に行ってさがしてたら、彼は鳥類保護なんとか連盟につかまった(一同笑)。鳥の病院へ行ってみたら、かもめも足が不自由な子とか羽が抜けてる子とかがいて、人間と同じだな。そのかもめを連れてきて、美術の人は台本のト書きに青線を引いてかもめに読ませてた(一同笑)。で、セットへ行ったら、例の足が不自由なかもめとかがいて、ほんとにかもめが芝居してくれるんだ。どっと涙が出た。もういいとおれは思った」 

 

 会場からは『魔性』をつくり終えた後、燃え尽き症候群のようにならなかったですかという問いがあった。 

 

鶴橋「このころは一年に(2時間ドラマを)3本、多いときは5本撮ってました。でも(『魔性』を)撮ったあとは、何もできなかった。せつなかった。だがこの次のドラマで、当時『おしん』(1983)が大ヒットしていた田中裕子さんが出てくれることになって。『秘戯記(ひげき)』(1984)という作品で、それでもう休んでいられないと」 

 

 映画ならば『絞死刑』(1968)のように死刑を描いた作品もあるが、テレビではなかなか珍しいだろう。筆者はかつて所ジョージ主演の『私は貝になりたい』のリメイク版(1994)を見たけれども、死刑執行のシーンはあっさりしていた覚えがある。『魔性』の執行シーンはぎょっとするようなものだったが、鶴橋監督自身は単純に死刑反対というわけでもないらしい。 

 

鶴橋「いまは孫もいるし、死刑にしたほうがいいとどこかで思っている自分がいる…」(つづく