【『まむし』シリーズの想い出 (2)】
中島「メインタイトルは “懲役太郎” のはずだったんです。それがまむしシリーズで兄弟ものになっちゃった。ぼくはシリーズものがダメなんです。同じパターンがね。だから何作目でどうとか、細かいことはあまり覚えてない」
1作目の『懲役太郎 まむしの兄弟』(1971)で印象的に流れるのが「満鉄小唄」。
中島「日本が中国を侵略しているときの売春婦の唄なんです。母親の身分をはっきり描けないので、あれを使ったんです」
川地「向こうの人の慰安婦ですね」
シリーズは1971年から1975年まで9本がつくられた。
川地「アクションをやってても、4年も経つと年とってきて、1作目は4つの机をジャンプしてたのに、最後のほうになると机3つでした(一同笑)」。
中島「そういえば川地さん、さっき20年前と錯覚してましたよね。もう35年以上経つんだから、さすがに10年もサバを読むのは(一同笑)」
川地「年は取りたくないな~。でもいま見ても古くないですよ。自分で見ても面白いもの(拍手)」
中島「衣装はどうしようかって話して、このダボシャツみたいなのになったんだけど、あまり現代的になるとそぐわないしね」
川地「監督は無責任なんですよ。撮ったの3月くらいですから。寒いし、水かけられるし、ほんとに体力ないとね(一同笑)」
【菅原文太氏の想い出】
中島「文ちゃんもこの当時は主役を張り出して間もなくですよ。彼はあまり器用な俳優さんじゃない。うまく合う相手役が東映にいないんです」
川地「真面目にやられると困るね、ってところはありましたね。あの人はほんとに真面目なんです。こっちがばかみたいな台詞を言っても真面目に受ける(笑)。(母印を押してといわれて川地氏が「ボインか」と女性の胸に触ろうとするシーン)ボインのシーンでも、真面目に怒られるんです」
中島「でもまむしのふたりは方向性がおかしいだけで、当人たちは至って真面目という設定だから。ふたりのコンビが良くて、おかげで1作目は当たりました」
川地「『まむし』も最初はさぐってる感覚でした。弟分だから兄貴分の芝居を受ける役回りだと思っていたんです。でもあの人は突っ込んできてくれない。だからこっちから突っつかないと。
アクションでは文ちゃんがゆっくり動いて、ぼくはこちょこちょ動いてました。戦うときは、ぼくには速く動く人をつけてくれましたね。みんなうまかったですよ。川谷拓三くんとか志賀勝とか、ピラニア軍団のメンバーだね。志賀はいまは酔いどれ天使だけど(笑)ときどき会います。
撮影のときはそうでもなかったんですが、終わって飲みに行って文ちゃんと仲良くなった。あの人は酒癖が悪いし、あまり強くない(一同笑)。東映は総じて酒癖が悪いですね」
中島「ぼくもあまりいいほうじゃない(笑)。文ちゃんはあのころ鬱屈してたんですよ。目が飢えてる目でした。仕事に飢えてるというか」
川地「それは川谷もですよ。いまは飢えようと思っても、飢えるものがないね」
中島「川地ちゃんは『まむし』の時点でもうそこそこの量の仕事をこなしてたからね。東映の連中はギラついて、これから何かやってやるんだって状態だった」
川地「みんなギラギラとこっちを見てくるんで、ぼくはあえて平気な顔をしてました(笑)。こんな世界もあるんだって勉強させてもらいましたね」 (つづく)