私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

中島貞夫 × 川地民夫 トークショー レポート・『懲役太郎 まむしの兄弟』(1)

 渋谷にて特集上映 “中島貞夫 狂気の倫理” が開催され、『懲役太郎 まむしの兄弟』(1971)のリバイバル上映と、中島貞夫監督と川地民夫とのトークショーがあった。  

 『懲役太郎』に始まるまむしシリーズは、主人公の政(菅原)と勝(川地)の義兄弟が毎度出所してきて悪と戦い、刑務所に逆戻りするというのがパターン。

 第1作では、当初はやりたい放題のふたりだが只者でない幹部(安藤昇)にあっさりのされる。そこで、その幹部の真似をして竜の刺青を入れてみたはいいものの雨に降られて流れ出すところなど、情けなくて面白い。笑える反面、興味を持っていた女性(佐藤友美)が警察の保護官だと聞いてトラウマを抱える菅原文太が急に態度を硬化させたり、川地民夫がハーモニカで吹くメロディ(「満鉄小唄」)でその出自が暗示されたり、シリアスな側面も巧みに描かれている。

 

【『まむし』シリーズの想い出 (1)】

   東大文学部卒業後、東映に入社した中島監督は『893愚連隊』(1966)、『唐獅子警察』(1974)などやくざ映画や時代劇を多作。一方で『日本暗殺秘録』(1969)や『鉄砲玉の美学』(1973)といった異色作も手がけた。 さすがバイオレンス映画の作り手だけあって若いころの写真だと怖そうな印象があったのだが、滑らかな口調で話す小柄の男性でこちらの勝手なイメージとは異なっていた。 

 川地氏は、かつてテレビ『ウルトラマンティガ』(1996)にて防衛チームの総監役を好演しておられた印象が強い。鈴木清順監督『野獣の青春』(1963)での突然激昂する男の役など、実に幅が広い。『まむしの兄弟』シリーズでは、兄貴分(菅原文太)を無邪気に慕う二枚目半のコミカルな役どころ。 

 

中島「『まむしの兄弟』の主役を誰にするか、俊藤浩滋プロデューサーと話していて、川地ちゃんの名前が出たので、ええっとびっくりしたんです。川地ちゃんのような日活の青春スターをこんな柄の悪い映画にって(笑)」 

川地「ぼくも初めはびっくりしました。そのころ藤純子さんとテレビの仕事をしてて、そのとき(藤の実父の)俊藤さんにちょっと菅原文太の相手役をしてくれないかって言われたんです」 

 

 俊藤プロデューサーは、池部良中井貴一など二枚目俳優をやくざ映画に引っ張り込むことを好んでいたようである(萩原健一・絓秀実『日本映画[監督・俳優]論』〈ワニブックスPLUS新書〉) 

中島「当時は任侠映画の全盛期だったんで、ぼくは逃げてたんです。これだったらやるか、と言われて」 

川地「日活の監督やスタッフは大人しいんです。東映の京都撮影所は変な人ばっかり(笑)。ほんとに現場監督という感じでしたね」」

中島「特に京都は異質で怖いからね。日活の清純できっちりした作品に出ていた人が、こともあろうに『まむし』(笑)。これは東映の中でもむちゃくちゃな作品でしょ。日活の青春ものは、ある意味ハイカラで(笑)。逗子や湘南を舞台に上流階級の話でしたからね」

川地「原作になってる本がそういうものでしたから。まあ、日活だって泥くさいですよ。日活でも『河内ぞろ どけち虫』(1964)っていう今東光原作の泥くさいのに出てるんですけどね。そのときも思ったのが、言葉が面白いなって。『まむし』でも関西だか何だか判らない言葉ですもんね」 

中島「正式な関西弁じゃなくて “まむし弁” ですね。任侠の縦系列の男の世界を壊そうという意図がありました。でもどこまで喜劇タッチにしていいかが難しかった。このあたりで任侠映画が終わるんですね。転換期でした。

 (毎回)文ちゃんが刑務所から出てきて、川地ちゃんが迎えに行く」

川地「傷害とか恐喝とか、普通は入ったら、こんなにすぐ出てこないですよ(一同笑)」 (つづく