私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

2018-02-01から1ヶ月間の記事一覧

岡本富士太 × 小倉一郎 × 仲雅美 トークショー レポート・『Gメン'75』『ピンクレディーの活動大写真』『誘拐報道』(2)

【『Gメン'75』(2)】 岡本「あるとき(『Gメン'75』〈1975〜1977〉に)田中邦衛さんが来たんですよ。「きょう、何時ごろ終わる?」って、もう帰ること考えてる(一同笑)。丹波(丹波哲郎)さんが台詞覚えてないなんて知らないわけです。「恥ずかしいんだけ…

岡本富士太 × 小倉一郎 × 仲雅美 トークショー レポート・『Gメン'75』(1)

テレビ『Gメン'75』(1975〜1977)や『中学生日記』(1989〜1996)、映画『誘拐報道』(1982)などで知られる俳優・岡本富士太。筆者は幼いころに見た『高速戦隊ターボレンジャー』(1989)の科学者役の印象が強い。 2月に小倉一郎・仲雅美両氏とのトークシ…

切通理作 トークショー “日本の怪獣映画 本多猪四郎から現代・未来へ ” レポート(4)

切通理作 トークショー “日本の怪獣映画 本多猪四郎から現代・未来へ ” レポート(3)

『美女と液体人間』(1958)や『ガス人間第一号』(1960)のような変身人間物では、液体人間はほぼゴジラと同じ。『ゴジラ』(1954)の発想のもととなったのは『原子怪獣現わる』(1954)と当時起こった第五福竜丸事件で、『ゴジラ』も最初は被曝した船が戻…

切通理作 トークショー “日本の怪獣映画 本多猪四郎から現代・未来へ ” レポート(2)

『ゴジラ』(1954)の企画は、いちばん最初は撮影所の重役の森岩雄さんが、でかいものが東京をめちゃくちゃにするものと言ったと本多(本多猪四郎)さんが証言しています。恐竜みたいなものはどうだということで、香山滋さんに原作を依頼して。小説も2バージ…

切通理作 トークショー “日本の怪獣映画 本多猪四郎から現代・未来へ ” レポート(1)

『宮崎駿の〈世界〉』(ちくま文庫)や『山田洋次の〈世界〉』(ちくま新書)などで知られる批評家の切通理作氏は『怪獣使いと少年』(洋泉社)や『怪獣少年の〈復讐〉』(同)など特撮作品にも造詣が深い。その切通氏が2014年に発表したのが、映画『ゴジラ…

対談 山田太一 × 宗雪雅幸 “日本人が失ってきたもの。これから培っていくべきもの”(1992)(6)

対談 山田太一 × 宗雪雅幸 “日本人が失ってきたもの。これから培っていくべきもの”(1992)(5)

宗雪 本当の意味での国際化ですね。

対談 山田太一 × 宗雪雅幸 “日本人が失ってきたもの。これから培っていくべきもの”(1992)(4)

山田 あの頃は、一生懸命働けばそろそろみんなにもマイホームが手に入るという時期になってきて、でもまだ入らない人も随分いたわけです。ですから「マイホームのために働いているんだ、文句言うな」と言えば、結構まだ通用した時代なんです。しかし、奥さん…

対談 山田太一 × 宗雪雅幸 “日本人が失ってきたもの。これから培っていくべきもの”(1992)(3)

山田 まだインテリというのが選ばれた人で、薫りがあるんです。まいったと思いました。そういう味わいは、ドラマでは味わいがなくてとても出せませんでしたけれども、いいものだなと思いました。中村光夫さんの『戦争まで』という、第二次大戦が始まるまで、…

対談 山田太一 × 宗雪雅幸 “日本人が失ってきたもの。これから培っていくべきもの”(1992)(2)

宗雪 たまたま “美しい日本人” という話が出ましたけれども、私どもの会社の近くに青南小学校があって、そこに「降る雪や明治は遠くなりにけり」という中村草田男さんの句碑があるんです。中村草田男さんは、青南小学校で先生をなさっていたんですが、あの人…

対談 山田太一 × 宗雪雅幸 “日本人が失ってきたもの。これから培っていくべきもの”(1992)(1)

脚本家の山田太一先生が、富士写真フイルムの宗雪雅幸・専務取締役と対談した記事を入手した(「FGひろば」Vol.81)。「新春特別対談」と銘打っているものの、当然ながら対談は前年(1992年)の末に行われたとおぼしい。そこで標題は1992年のものということ…