私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

岡本富士太 × 小倉一郎 × 仲雅美 トークショー レポート・『Gメン'75』(1)

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 テレビ『Gメン'75』(1975〜1977)や『中学生日記』(1989〜1996)、映画『誘拐報道』(1982)などで知られる俳優・岡本富士太。筆者は幼いころに見た『高速戦隊ターボレンジャー』(1989)の科学者役の印象が強い。

 2月に小倉一郎仲雅美両氏とのトークショーが行われた(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

 

【デビューのころ】

「ぼくも横浜なんですけど、横浜出身ですよね」

岡本「山下町という、元町の近所ですね。うちの近所にマモル・マヌーという仲間と遊んでしたら、名刺渡されてうちに来ないかと。高校2年生だったかな。ステーキ食べに来ないかと言うんですよ。まだ高校生で、それも銀座だと(笑)。有楽町まで行って電話したら迎えに来てくれて。行ったら渡辺プロの関連の事務所で、植木等さんと伊東ゆかりさんが。子どもみたいなのがいっぱい稽古してるところにも連れていかれて、きみたちここ入らないかと。うちの近所に日テレのディレクターがいて相談したんですよ。そしたら「ダメだ!お前みたいな賢くないのがいきなり行ってどうにかなったら大変だ」と。それで高校卒業までは何もしなかったです。マモルは(ハーフだから)当時は大変だったと思う。だから先々のことを考えて音楽関係に入っていきましたけど、ぼくは何もしなかった。でも入ってみたい世界だし、またディレクターに相談に行ったら、仲代達矢さんの俳優座杉村春子さんの文学座の切符をくれて見て来いと。劇団雲を見たら山崎努がいたんです。黒澤明さんの『天国と地獄』(1963)が好きでしたし、入ったんですね。それがきっかけ」

「劇団雲から演劇集団円に行かれて」

岡本「仲間と創立したんですね」

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【『Gメン75』(1)】

岡本「この前の『アイフル大作戦』(1973)と『バーディ大作戦』(1974)の数字がよくなくて打ち切っちゃって、まだTBSと東映の契約が19本残ってたんです。東映はその19本で何とかするということで、エースの深作欣二佐藤純彌監督を持ってきた。タイトルバックや人物設定とかを彼らが考えて。畳を映してないし、刑事のごはん食べてるところや靴の裏を映してない。都会の苦労しない刑事だから。映画のアメリカン・リアリズムがあって、あの調子でやりたいと。血は見せないし、銃で撃たれても。そういうのはプロデューサー(近藤照男氏)が嫌いなんですね。

 視聴率がどんどん上がってずっとつづいたんですね。全部で8年半やってました。当たったから海外ロケもありました」

 

 岡本氏は『バーディ大作戦』にゲストで登場後に、レギュラー出演した。

 

岡本「『バーディ大作戦』で沖雅也さんと和田アキ子が半年契約で降りるから、代わりに試験的に1本出たんです。急遽おれのためにつくったホンで、それで『バーディ』のレギュラーになった。この前に大映石橋正次とか鈴木ヒロミツとかがいて、おれはゲストの宇津井健さんを殺す役(『事件狩り』〈1974〉)。プロデューサーの野添(野添和子)さんが、岡本ってのがうちに出てるよって近藤さんに教えてくれて」

 『Gメン'75』に津坂刑事役で2年出演して勇退。 

 

岡本「このころいろんなオファー受けたんですけど、やらせてもらえないんですよ。ずっとつかまってて。撮影に1本に1週間以上かかっちゃって。だから辞めて、ぼくは2年とちょっとしかやってないです。青春時代で愉しかったです。ほんとの刑事になったみたいで」

 

 黒木警視正役の丹波哲郎の印象は強い。

 

岡本丹波さんはいいですね。まず時間通り来ない(一同笑)。9時に撮影開始ですって言われると2時間遅れて来る。だいたい徹夜で麻雀してるんですね。そのままガウンとスリッパで来る。付き人が歯ブラシとフェイスタオルとか抱えてついてきて、歯磨きながら「グッドモーニング」「おはよう、先輩諸君」とか言う。着替えてメイクしたらもう午後になっちゃって、それで台詞を覚えてこない。台本のどこをやるのか訊いて、ここですって言われると「喋ってるじゃないか、おれ!」(一同笑)。どういう話か知ってます?って訊くと「だいたいな」。監督は深作さんで「サク、どっから撮るんだ?キャメラどこ置くんだ?」。監督は「それ、私の仕事でしょ。それより台詞覚えなさいよ」。丹波さんは(カンニングペーパーとして)「よし、じゃあ台本そこ置け。そこならわかんねえな」。それで「いらねえだろうこの台詞」ってどんどん短くなっちゃって。

 本番になると台詞も筋も判ってないのに、いい顔するんですよ。監督も「オッケー!」と。丹波さんは「だからおれは売れてるんだよ」(一同笑)。もっとひどいときはカンペを相手のここ(手前)に置いて、キャメラはわれわれを後ろから撮って、丹波さんはおれの顔見て話してるようで台本見てる。それでいて台詞のキレもいい。すごいですから、このカンペテクニックは」

小倉「うまい人、三木のり平さんとかも時計のリューズを巻くような芝居をしながら(ペーパーを)見てる。マーロン・ブランドもすごいらしい」

岡本「覚えてなくてもあれだけできる。どうして台詞を覚えないんですかって訊いたら「仕事を家庭に持ち込まない!」と(笑)。ただ自分が主役の映画は、『大日本帝国』(1982)とか『切腹』(1962)とかはきっちり台詞覚えるんですよ。他の人の台詞まで覚えて。調子いいんですよ。

 「葉巻とソフト帽が似合うのはおれだよ」「葉巻っていやあ、おれだよ」とか言ってて、タバコ吸えないんですよ(一同笑)。吸って咳き込んだりして。ウィスキーとか飲んでそうだけど、酒も飲めないし、チョコレート大好き。先に帰るときは「おれがいなくても手を抜くなよ」(一同笑)」(つづく