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飯島敏宏 × 白石雅彦 × 河崎実 トークショー “テレビドラマ50年を語る”レポート (1)

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 『ウルトラマン』(1966)や『ウルトラセブン』(1967)、『金曜日の妻たちへ』シリーズ(1983〜1985)など多数のテレビ・映画作品を手がけた飯島敏宏監督。2017年に自伝エッセイ『バルタン星人を知っていますか?』(小学館)を刊行した飯島氏がキャリアを回想するトークショーが神保町にて行われた。

 聞き手は、かつて『飯島敏宏 「ウルトラマン」から「金曜日の妻たちへ」』(双葉社)を著し、このほど『ウルトラセブンの帰還』(同)を発表した白石雅彦氏。中盤に『地球防衛未亡人』(2014)や『大怪獣モノ』(2016)などの河崎実監督も登壇した。

 まず白石氏が「監督の飯島敏宏さん、そして脚本家の千束北男さんです」と紹介(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

バルタン星人を知っていますか?: ~テレビの青春、駆け出し日記~

バルタン星人を知っていますか?: ~テレビの青春、駆け出し日記~

 

【学生時代】

 慶応大学の学生時代に、ラジオの“東西ユーモアコンテスト”で優勝。昔の台本を飯島監督は持参されてきた。

 

飯島「このコンクールで慶応はずっと明治に負けておるので、明治を倒せということで。1年目は難しいホンを書いてしまって、2年目に「都会の人」というミステリーを書いて、そこからぼくは娯楽作家と自分を位置づけました。文学部ではカミュサルトルが流行っていて、台本も小難しくて頭でっかち。そのころハヤカワミステリも出てきて、「都会の人」はラジオ東京から放送されたと。

 東京はラジオ東京、大阪は新日本放送。両方で作家を立てて。こっちは大先生が揃ってて、でもなかなか書かない。生放送で間に合わない。電話かかってきて、明後日穴が空いちゃう」

白石「これは“待ち合わせ”というタイトル」

飯島「そういうお題がある。残酷なバトルで、前半は東京、後半は大阪で別の作家が書く。最後に投票する。翌週発表で、先週は西の勝ちとか。花登こばこさんとか、藤本義一さん。明治大学じゃないけど、台本を藤本さんが書いてました(笑)。だいたいぼくは負けてましたね」

白石「結婚前で北千束に住んでなくて、千束北男じゃないですね」

飯島「卒業するとき2年下に藤川桂介くんがいて、藤川くんにバトンタッチ。見事優勝しました。審査員は飯沢匡さん。いまテレビでやってますけど、飯沢さんがお弟子さんをさがしていて、お前弟子に来いよって言われたけど、フリーでやってく自信がなかったので、藤川くんを紹介して彼は弟子入りしました。これは彼が初めて作詞したレコード。(レーベルは)大映レコードで、演奏は大映オーケストラ(笑)。初めてのレコードから嬉しくてぼくにくれたんだと思います」

 

【時代劇のエピソード (1)】

飯島「師匠はいない。昭和31年にラジオからテレビで、そのころの民放は師匠がいない。(AD時代)ついていたのは『特ダネをにがすな!』(1956)では、カメラマンは大映の人で糸田(糸田頼一)さんという方で、劇場映画を撮ってた方でドラマの撮り方などは全部教えてもらいました。

 『月曜日の男』(1961)までは、ぼくは時代劇のディレクターでした。大河ドラマでなく、チャンバラ。本郷で生まれて、浅草に映画見に行ってチャンバラを。『鳴門秘帖』(1959)とか『大江戸の鷹』(1960)とか。朝丘雪路が新人でした。東芝日曜劇場でも時代劇を撮って。当時は普通の番組が30分で、1時間の東芝劇場は金看板ですよ。初めて撮ったのが『赤西蠣太』(1961)。主演は水沢道太郎さん。赤西蠣太が潜入して、侍が追っかけてくるのをコマ落としで撮ったり、街道で飯を食べるところを今度はゆっくり撮ったり。チャンバラを撮るときは、チャンバラが始まったんでモグラが慌てて潜るとか。美術で土の中もつくって、モグラが出ると侍が切り捨てられてるとか、凝ってた(笑)。

 2本目は『お犬さま係』(1960)で、『お馬は七十七万石』(1944)という終戦直前の映画があって、面白かったので。宮川一郎さん(脚本)で33万石にして、犬にしようと。当時の台本は、ト書きに“速い速い、さあ間に合うか”とか書いてある(笑)。生放送で美術がスピッツ持ってきちゃって」

白石「江戸時代なのに(笑)」

飯島「プロデューサーの石井ふく子さんが、墨を塗って狛犬みたいにしてくれて(一同笑)。石井さんはトークショーでそこ喋ってましたね。あんなにドキドキしたことないって」

白石「よっぽどダメかもしれないって思ったんですね」

飯島「そんなこと思いませんよ、あの人は(笑)。

 五社協定があって、映画スターは出せない。歌舞伎や新派の人が多かった。大宮デン助大宮敏充)とか」

 

 その後も現代劇や特撮ドラマを挟みながら、『風』(1967)や『びんぼう同心御用帳』(1998)といった時代劇を撮った。

 

飯島「『風』(1967)を撮りに京都に行ったんですけど、ぼくは包丁といで白州にまいてどこでも行く主義。飯島組っていうような五社英雄さんみたいなのではなく、ひとりで。栗塚旭さんをTBSと松竹が東映から引き抜いた。京都の監督が撮るわけにはいかない。引き抜かれた俳優を撮ったら、東映で撮れなくなる。監督は松田定次さんしかいらっしゃらない。そこで、飯島は昔チャンバラ撮ってたと誰かが思いつく。それで京都へ。おまけもついていきましたけどね」

白石「誰が実相寺実相寺昭雄)さんを?」

飯島「あれはほんとに、年寄り殺すのうまいんですよ。円谷英二の懐にも飛び込んだし。松田さんにかわいがって」(つづく) 

ウルトラセブンの帰還

ウルトラセブンの帰還