私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

飯島敏宏 × 白石雅彦 × 河崎実 トークショー “テレビドラマ50年を語る”レポート (2)

【時代劇のエピソード (2)】

飯島「松田(松田定次)さんは、テストは自分でおやりになる。西の時代劇の監督はね。滝沢英輔監督も国際放映で、全部自分で芝居をやるんですよ。山田洋次さんみたいな伝統的な監督は何度もテストやらせてくたびれさせて、最後に注文言って自分の思う通りに。松田さんはテストやらせると“ええなあ”って言って、今度は自分でやってみせる。松田さんは××のリアルな芝居が気に入らない。ぼくは待ってるけど、いつまで経っても…。遂に新幹線の切符出して、乗り遅れると大変なことになると。でも松田さんの言う通りにしたら、東京に帰って宇野重吉さんに怒られる。太陽が傾いてくるから、最後は撮るしかない。まあ、そこまでではない(笑)」

白石「監督も粘りませんか。実相寺実相寺昭雄)さんは“おれなんか粘らないよ。飯島さんだよ、粘るのは”って」

飯島「言わせとけ(笑)。『びんぼう同心御用帳』(1998)というので東映京都撮影所に行ったら、みんなさっさ働いてくれる。スタジオをうろうろしてたら、ご年配の方が挨拶してくれた。何十年か前に『風』(1967)を京都松竹で撮ったときの殺陣師で、さりげなく挨拶に来てくれて、スタッフはあっと思って何でも言うこと聞くと。

 メイク室で、東京から来た俳優はどこに座るかが大変。古谷一行とぼくが行ったら、北大路欣也松方弘樹。真ん中に高倉健の席もある。偶然ぼくが入ったら、松方さんが立ち上がって“女房がお世話になりました”って。それで連れてった古谷さんは、するっと真ん中へ(笑)」

 

【『月曜日の男』】

 飯島監督は、『月曜日の男』に出演していた矢代京子(新東宝)と結婚した。

 

飯島東宝は、組合と会社がものすごく対立して戦車まで出るような争議になって、映画が一向にできない。そこで新しい会社をつくって新東宝。社長が大蔵貢さんに代わってエログロ路線に。そのころにいた新人女優が五社協定にひっかからないってことで、『月曜日の男』(1961)のヒロインにした。ハンサムタワーズもTBSに出てる。新東宝の新人です、使ってやってって。寺島達夫とか。でもスポンサーが気に入らないと。そこで精悍な待田京介に。ぼくも当時は飛び降りたりは、自分が必ずやった。できないことは俳優に要求しないけど、彼はその上をいくんだ」

白石「動体視力も反射神経もすごいですね」

飯島「ダメだったのは台詞だけ(笑)」

白石「台本見ると、台詞が行数短い(笑)」

飯島「これは東芝レコードの「月曜日の男」。「黒い花びら」でレコード大賞を取った直後の強気なときでした。水原弘で、楽団もすごかった」

白石クレージーキャッツが出てきて、ジャズブームがあった。『月曜日の男』もその余波がありました」

飯島「と言うより食えなかったんですよ。これは有名な作詞家が詞を書いてきたけど、お水が機嫌悪かった。ぼくはディレクターで、こっちは生放送。しょうがないからちゃっちゃと書いて。水原弘もきっと内心困ってて、歌うと字余りもうまく曲に乗せる。いいも悪いもなくて、みんな手に汗握ってた(笑)。1番歌ってるときに、2番の詞を書いて(一同笑)。コンテストと同じで、間に合わないからお前やれよと」

白石「当時のロケは16ミリで、画質が変わる。どうしても(セット撮影と)同じ画質でやろうとすると、中継車を出してやることになる。フィルムの使用量が多かったのは、円谷一さんと飯島監督だったという」

飯島「一さんはフィルム志向で、ぼくはそうじゃなくて。チャンバラでもスタジオでやるとなんか間ぬけなんですよ。生放送で(斬り合う)タイミングが遅いわけ。遅れて倒れたり、厭でね。その部分はフィルムで撮って、編集したものを流そう。チャンバラの部分は16ミリのロケーション。東京で撮れないから、伊豆へ行って撮ってました。だんだんフィルムを撮る量が多くなって、映画部ができたらそこに行って。で、ウルトラの世界に入った」

 

ウルトラシリーズ (1)】

 フィルムで撮る映画部に異動して渥美清主演『泣いてたまるか』(1966)や国際放映制作の昼ドラマなどに登板した後で、飯島監督は円谷プロに出向し『ウルトラマン』(1966)の脚本(千束北男名義)・監督を務める。 

 

飯島「本に書いてみると愉しく見えちゃう。『ウルトラマン』ではスタッフや俳優さんに怖かったと言われる。でも怖いんでなくて自信がなくて、確信もなくて。(スーツアクターの)古谷(古谷敏)も目が見えなくてこんななってるし。最初は見えなくて、怖かったと思うんです。それが必死になって、相手に恐怖感を持って戦うというふうに見えたのかな。あれがいいんですね」

 

 監修は円谷英二、メイン監督は長男の円谷一

 

飯島円谷プロへ行って、東宝から来た野長瀬(野長瀬三摩地)さんとかのフィルムの人たちに坊やって言われましたからね。ぼくは歳より若く見えて。いまは歳より老けて見える(笑)。英二さんは、ぼくのことを一の友だちだと思ってる。英二さんは、一さんには厳しかった。実相寺は取り入るのがうまい(笑)。

 ウルトラの世界でも真剣勝負。顔には出さないけど、映画に負けるかってのがありました。

 地を這うような修行をしてきたのに、テレビ局からなんか若造が来て、監督だって?って気はしたと思いますよ。(映画人は)テレビ映画を撮ったら、もう映画を撮れない時代。

 円谷英二監督がウルトラマンを誉めたっていうのは、日記に書いてあったのかな。高野宏一も一人前になったみたいなことがあったらしい。高野さんが専務のときに日記を読んだみたいで。

 英二さんとは歳が違うけど、読んでる本は同じなんだよね。当時本が読み継がれていたのと、貸本屋とか。それと兄弟が多くて、長男の本のお古が置いてある。「キング」とか女中さんの本とかも読んじゃって。戦前に、負けそうなとき戦艦が山の中でできてて、湖から出て敵をやっつけるとかいう話が多かった。『マイティジャック』(1968)を見たとき、円谷さんもそうかと思ってね。最初に戦艦が波から上がって飛び立つところは、円谷さんのエネルギーがつぎ込まれてますね。

 映画界ではフィルムの許容量、その日の尺数を気にする。『ウルトラQ』(1966)はじゃんじゃん回したけど、『ウルトラマン』ではね。でも始末書さえ書けば。撮影止めちゃうわけないので。

 国際放映では、うかうか撮ってると、予算のない番組は、スクリプターが来て“尺は足りましたよ” 。怖い言葉ですよ。フィルムは全部使いましたよ、ここたら撮るのは無駄ですよということ。それに比べれば、『ウルトラマン』はまだまだ贅沢でした。昼の帯ドラマに比べれば天国ですよ。悪かったのは弁当(笑)。

 でもロケーションで弁当が出ないところと出るところがあって、円谷は弁当は出たからまだいい。ただ毎日同じお弁当。ちくわを薄く切って天ぷらにするとこんなに大きくなる。お弁当中が天ぷら(一同笑)。

 「2020年」(『ウルトラQ』の第19話「2020年の挑戦」)の内海(内海正治)さんとかは名人芸で、盗んでいきました。飛び込み台から飛び込む人が消えてしまう。モーションコントロールもCGもないから動きは勘。飛び込む人を撮った後で、落ちた角度とコースを記憶して何もないところを撮る。10回くらいやるかなと思ったら、内海さんは3回で。それで中野(中野稔)くんが合わせたら合ってた。すごい包丁を持った人がいますね」(つづく) 

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