私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

森本レオ インタビュー “森本レオの場合”(2014)(2)

森本:ロバのそばのアズ・スーン・アズというライブ・ジャズ・スナックがあって、小銭が貯まると菅野沖彦さんや本田竹彦さん達を聴きに行ってた。そこで、若き日の村上春樹さんが、ボーイさんをやってたんだって。俺、もしかしたら春樹さんにカレーライス運んでもらってたかも知れないんだぜー。

 

――それはうらやましい。それ、事実かどうか確かめてみましょうか。

 

森本:止めなさい。ここは夢の街だって言ってんだろうがー!

――はいはい(笑)。でも確かに小説に高円寺がよく出てきますね。

森本:でね。アズ・スーン・アズの向かいの、ポエムの坂を下りて行くと小さな公園があるんだ。たまたま夕暮れ時にみんなでだらだらその公園を通り抜けてたら、そのボーイさんが奥のベンチで静かに本を読んでたんだ。黒いチョッキの制服姿にコートを羽織って。声をかけようとさりげなく近づいたら、英語の原書だったんだって。急にみんな萎縮して、こそこそ通り過ぎてしまったよ(笑)。

――ぜひ本人に聞いて確認してみたいですねえ。

森本:だから、止めろって、言ってんだろうがあ、想い出はみんなメルヘンになるんだって! 夕焼け色のさあ(涙)。

――割とそういう自由な方たちと、毎日遊んでたわけですね。

 

森本:楽しい時代だったなあ。ぼくはガチガチのノンポリだったんだけど、みんな本音に近い話をいっぱいしてくれた。マルクスも後年さり気なく反省してたんだってね。みんなそっと知ってたんだ。あまり名前を出しては失礼だけど、やがて名をなしてゆく人もいっぱい居たけど、西岡恭蔵君(日本のフォーク歌手)や鷹魚剛君(同じく日本の70年代に活躍したフォーク歌手)のように、時代とすれ違ってしまった人たちもずいぶん居た。オグラがんばれ、西井がんばれ、華子けっぱれ。河田もキボリオも浜崎もみんなめげんな(←高円寺で頑張ってる、物書き、絵描き、歌うたい達です)。マックならおごるぜ。

――(笑)

「衣食住、あんまり興味がないからなあ」


――今の高円寺で、お気に入りの場所はあったりします? 好きな所とか。

森本:北口の麦酒屋(高円寺麦酒工房)さんはミラノの地ビール横町よりも絶品物だし、その向かいのグッド・リビングも良い時間が流れているし、純情商店街のポポラーレは裏メニューでフナデニ・ソースを作ってくれるし、醍醐の豆腐グラタンはヘルシーだし、月丸海は九州直送だし、キムチの赤プルコギは他では食べられないし、四丁目の姐チャンの酒は楽しいし、七つ森には宮沢賢治が隠れてるし、ライトサイドカフェはバルト海の風が心地よいし、ペリカンはエクスプレスだし、次郎吉は同期生だし、AGではひそかに増尾好秋さんが遊んでるし、ルックの通りを左にひょいと曲がったチントンシャンは、純和風割烹なのにパデレフスキーやグールドをかけてくれて、和服の女将が美しすぎる。

 でも、衣食住、あんまり興味がないからなあ、一日中上島のぱさついたサンドイッチかじってる日もあるよ(笑)。

「なじみの喫茶店の机に、古本を積み上げて、世界を手に入れる幸せ」


――今回、男のかっこよさとは? というところもお聞きしたいのですが。

森本:ぼくは能力ないですねえ、結局古本屋さん巡りをしちゃうんですよ。何冊も買い込んで、なじみの喫茶店のテーブルにどんと積み上げてあちこちめくりながら、世界を手に入れた気分に独りでデレついちゃう。だから度量の広い人じゃないと、ダメなんですよ。余りに美しかったりする最先端ぽい人とは、その日のうちに逃げますね。基本的に気が小さくて、わがままな根性ナシです。あー、どうせかっこ悪いさ、ゴメンなっ!

 

――(笑)どなたか、印象に残ってる「かっこいい人」はいますか。

森本:みんなかっこいいんだけど、ぼくの中ではとりわけ原田芳雄さんです。あれほど、人の傷みや孤独に優しい人は居ませんでした。

 芸能人って、しょせん庶民サマの鬱憤晴らしのガス抜き要員じゃないですか。だから、時々悔しい思いをする時もあります。そんな時、さりげなくカップ酒を持ってやって来てくれて、「世間なんざ、字ずらしか読めねーバカばっかだー」と大笑いしながら、話し込んでくれるんです。それもぼくの話には触れないで、ほとんど自分自身の苦労話や失敗話なんです。そして、「俺も小っちぇんだよー」と大笑いをするんですよ。それでいつの間にか、どっちが小っちぇーか競争を、二人で延々とやりあうんですね。勝ったねとか、くっ悔しい、とか言いながら、さいごまで同情事は一切言わないで。芳雄さんの、色んな切ない話を伺いました。さり気なく病院の手配までしてくれたのに、結局不義理ばかりしていました。今でも「バッカじゃねーの」、の口癖が聞こえます。あんなにかっこいい人は、見た事がありません。

「かっこいいというのは、いたわり心でできているんですよ」


森本:そもそも「格好」というのはね、「納まりがいい」ってことなんですよ。枠からはみ出さずに邪魔をせず、でも程よく座りがよくて、場を和ませる。そのいたわり心と言うか柔軟さのことなんだ。ファッションてね。本来相手を癒すためにするものなんです。だから、相手を押しのけて目立とうとするのは、下品(ゲボン)の極みなんですよ。少なくとも昔の高円寺ではね、それが当たり前の常識だったね。

――レオさんが考えるかっこよさみたいなのは、今の高円寺にはない?

森本:高円寺って、基本的に自然体だからね。いまだにあんまりはみ出したりはしない人が多いよね。関東大震災で生命からがらたどり着いた人たちの思いって、まだ深いところに残っているような気がするよ。
 新宿まで7分!と言う距離感がいいんでしょうね。新宿にも渋谷にも興味はある、でもずっぽりはまらず冷静に観ていられる距離。その7分の距離感が、高円寺の理性なんじゃないのかなあ。その距離をいつも感じながら、みんな自分の言葉を捜していたんですよ。

 

――ありがとうございました。ぼくも高円寺民として肝に銘じます(笑)。

 

 以上、“杉並区高男寺三丁目”より引用。