私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

森本レオ × 山賀博之 × 渡辺繁 トークショー レポート・『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(2)

【企画の発端】

渡辺「ぼく当時は入社4年目の平社員でしたんで、ぼくが(出資を)決めたんじゃないんですよ(一同笑)。バンダイは30年ぐらいの歴史があったんですけど、2代目の山科誠さんに代わって、玩具事業とは別のいろいろなトライをした方なんですね。その方が映像事業も手を染めて、それから1年も経たないうちに岡田斗司夫さんが映画をつくらないかって企画書を持って来た。実はその半年前に岡田さんと山賀さんがガンダムモビルスーツバリエーションのビデオを山賀さん中心でつくりたいって言って来て当然NOって話になったら、岡田さんたちが『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987)の企画を練り上げて持って来た」

山賀「岡田さんが「ガンダムは通らなかったけど、オリジナルの劇場アニメだったら通りそうだったよ」って言うから(一同笑)。何で企画が通ったか判らないですね。ぼくは監督で岡田プロデューサーの言う通りに」

渡辺「企画書じゃなくて岡田さんが、貞本(貞本義行)さんの描いた飛行機の絵を持って来たんですよ。それにピンときたんです。面白いからやってみようと深みにはまってしまった。最初はこんなはずじゃなかった(一同笑)。岡田さんの企画書は、ばしっとした劇場版をつくれと。OVAの分析から始まって若者はいま何を求めているか、このままOVAで閉塞してはダメだと。『風の谷のナウシカ』(1984)や『超時空要塞マクロス』(1982)と比較してどうのこうのと書いてあるわけです。ぼくもOVAビデオメーカーをやってて、1年ぐらいで完全にマンネリになって違うことをやりたい。それで企画を上げたら通ってしまって、誰か止めてくれないかというのがぼくの中にあったんですが(一同笑)」

【制作現場】

山賀「ぼくはそのころ、アニメーション業界に入ってはいなかったんですよ。大学生だったんで。だからそのときのスタンダードも知らないわけで」

渡辺「現場はものすごい熱量だったですね。コップひとつでも異世界のデザインなんで、スタッフみんなで討論する。徹夜で喧々諤々やって「何やってんだこの連中」と思いましたけど。そんな熱は他の現場で見たことなかったです。プロデューサーの末吉(末吉博彦)さんって方が広告代理店から来てくれて、末吉さんがいろんな仕切りをしてくれたから配給も決まって流れができたんですね」

山賀「(日本でもアメリカでもない異世界が舞台で)ゼロからデザインをつくらないといけなかったんですが、早かったですね。若いってすごい。1年ぐらいでつくっちゃった」

渡辺「企画書をいただいてから2年半で映画公開してますからね。しかも手描きですから」

山賀「音響監督の田代(田代敦巳)さんにお願いしますって台本を持ってったときに、ひと晩かけて読んでみたけど全く判らなかったって。「全く判らないから引き受けます。こんなに判らないものはないから引き受けたい」って受けてくれたんです」

 

【アフレコの想い出 (1)】

森本「あのとき言われちゃったんですよ。「上手くやらないでくれ」って(一同笑)」

山賀「(笑)声優さんは当時のベテランの方々ですから。上手にやっていただけるんですけど、もう少し声優の演技じゃない世界でやっていただけないかなと。生意気に、まだ大学生だったのにそんなこと考えて。それで「森本さんは?」って口走ったらいろんな人が調べてくれて行けますよと」

森本「あのころ声優に目ざめ出してて『人形劇 三国志』(1982)なんかで。諸葛孔明とかいっぱいいろんな役をやってるんですよ」

山賀「あのころは(ひとりの声優が)役を兼ねるのが普通にありましたよね。いっぺん呼べば、ギャラはいっしょだから(笑)」

森本「『三国志』には200~300人が出てくるんだけど、それを10人ぐらいでやってるんで、みんなひとり10役ぐらい。声優っぽく演じるのが愉しかったのに、それをやるなと。ちょっと周りを見たら自分だけ下手に聞こえるんですよ」

山賀「ある意味、申しわけないところがあって。ただぼくとしては狙いだったんですよ」

森本「相手役のお姉ちゃん(弥生みつき氏)が慰めてくれて。「すごく新鮮よ」って言ってくれて(一同笑)」

山賀「あの方も声優としてはほとんど初めてだったはずです」

森本「そうなんだ」(つづく