私の中の見えない炎

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山際永三 トークショー レポート・『帝銀事件 大量殺人 獄中三十二年の死刑囚』(2)

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 何でぼくが熊井啓さんの新聞記者物、本日の森崎東さんの刑事物(『帝銀事件 大量殺人 獄中三十二年の死刑囚』〈1980〉)に対してささやかな悪口を言うのか(笑)。フィクションの存在を否定するつもりはありませんし、ドキュメンタリーの中に嘘もありますね。十分に承知した上で気に入らない、反撥せざるを得ない。

 帝銀事件を通して何を知りたいかというと、戦後の日本の歴史ですね。GHQの問題も含めて、戦後史をどういう観点で見るべきなのか。朝鮮戦争が起きて、GHQの性格転換もあって、日本は再軍備で予備隊もできていく。戦後民主主義がどんどん崩れていくんですね。

 帝銀事件は戦後2年半後に起きて、次の年には松川事件下山事件三鷹事件がありました。松川事件三鷹事件は米軍の影と言いますか、占領下の影響はたしかにあるんです。ところが国鉄総裁が死んだ下山事件は、占領軍の影響もあるんですけど、松本清張なんかによって完全にGHQの陰謀だということになってるんですね。多くの人がそれを信じてるんですけど、松川事件で捕まって死刑を求刑された佐藤一さんが無罪を取った後で、下山事件の研究会の事務局に一時詰めていたんですね。そこには松本清張とかも来てるんですが、佐藤さんが自分で調べていって、遺体についていた油とか細かく調査すると、どうしても自殺だと。下山(下山貞則)さんを轢いた列車が水戸の機関区だったかにあって、警察に調べられて、お前たちがわざとやったんだろうと機関区の人たちが冤罪になる寸前まで行ったそうです。でも下山さんは現場出身の国鉄マンで、首切りを気に病んで、事件が起きる数日前にアイスクリームを手に持って食べるうちにぼとぼと落ちるくらい朦朧としているところがあったという証言もある。自殺を図って轢かれたんだという佐藤さんの分厚い『下山事件全研究』(インパクト出版会)という本が出ています。佐藤さんの研究は尊敬せざるを得ない。佐藤さんは別の本で、日本共産党戦後責任を鋭く追及してます。組合運動に対して共産党がどんな態度を取ったか、告発しておられるんです。

 下山事件朝日新聞が他殺説で、毎日新聞が自殺説。ジャーナリズムも分かれたぐらい難しいんですけど。古畑鑑定という、当時いろんな冤罪事件に名前が出てくる法医学者の古畑(古畑種基)さんが死後轢断で、死んだ後で列車に轢かれたと言って、これは陰謀だと尾ひれがついていったわけです。いまでも週刊誌がフェイクニュースを垂れ流すわけですけど、当時は新聞記者や政治的に色合いのついた月刊誌なんかに力があった時代ですから、そういうメディアに取り上げられました。熊井啓さんも下山事件を映画化していて、俳優座のプロダクションでつくった映画ですけど(『日本の熱い日々 謀殺・下山事件』〈1981〉)GHQの陰謀だという説なんですね。当時、ぼくは無実事件の連絡網をやってまして、自殺なんだと抗議したんですね。水戸の国鉄マンが冤罪にさせられる可能性とかGHQの動きとか、いろいろあったのは事実でしょう。だけれども決定的な陰謀による他殺ではないと、ぼくらは確信していますから文句を言ったんですね。そしたら熊井啓東京新聞だったかのコラムに、良心的ないい映画をつくろうとしてるのに支援者と名乗る左翼の人たちがけしからんと言って邪魔するという変なことを書きました。ぼくは情けなくなって打ちのめされたという感じでしたけれども…。下山事件GHQの陰謀で他殺だと言ってる人はぼくの敵で、自殺だと言ってくれる人はぼくの味方です(一同笑)。この件に関しては、頑固に主張します。

 熊井啓帝銀事件はなかなか上手くつくってるんですが、本日の作品は正統派ですべて明らかにするという描き方をしながら、実は警察に味方している。もっといろんな問題があって、警察が何故方針転換をしたかとかそのころは冷戦の始まりでしたからGHQソ連のこととか、大変に複雑です。本日の映画では、その複雑さがどこまで解明されたかというと、2時間半以上あっても戦後史について学ぶべきところは全然ありません。テレビの刑事物で、みなさんも惑わされないように(笑)。こんなふうに貶す奴もいると。

 朝鮮戦争の時代から60年代の全共闘運動。それらは何だったのか、どう受け止めるのか。何年も経ってのコロナ禍、コロナは何でこんなに面倒になっているのか。それらはつながっている。戦後史は必ずしも過去にあるんじゃなくて、現代につながっています。

 帝銀事件から始まる日本型の冤罪。外国にも冤罪はたくさんありますけど、どうも日本的な冤罪があるのは何故なのか、考えていただきたい。その中で死刑がどう位置づけられているか。平沢(平沢貞通)さんも「死刑になるぞ」と言われてますし、平沢さん自身も「死刑にしてください」と言ってますけど、冤罪の取り調べの材料に死刑がこんなふうに使われているという意味では、この映画のある一面は正しいかもしれません。

 戦後の民主主義は脆弱でみんな挫折していった。先輩たちは挫折したし、全共闘運動も挫折した。われわれは今後、どのように戦後史を見るかというのが問われているとぼくは思います。

 

 「もともとテレビドラマで、映画館で上映する機会のない作品ですので、山際さんに辛口のコメントをつけていただいたわけですが、何だそんな映画かと思わずに大事な経験をしたとぜひ思ってくだされば」と関係者の方が言い添えていた。