私の中の見えない炎

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丸山昇一 トークショー(猪俣勝人特集)レポート・『殺されたスチュワーデス 白か黒か』(3)

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【新人のころの想い出】

 ぼくは、ほんとは(猪俣勝人)先生のところで内弟子にしてもらえないかと思ってた。後で判るんですけど『白か黒か』(1959)の借金問題もあって、この当時は解決していましたけど先生もまだ食べていくのがやっとで、公団住宅におられてそれどころじゃないって、そのときは知りませんので。毎週パフェをごちそうしてもらってたし(笑)。給料はいらないからと思ったけど、そんなに甘くないですよね。

 急遽2年間はコマーシャルをつくってる会社の孫請けのもっと孫請けの会社で、社員はぼくひとりのところに食べるために頑張って勤めて。だけど1行も書けないんですよね。オートスライドっていうオープンリールテープとカセットテープで信号を入れて、ナレーションが入ってかちゃかちゃと動く。大手企業の社員教育とか家電屋さんの販売店向けの新製品紹介とか。それにもシナリオがいるんです。モデルさんも呼んで、そういうことをひとりでやってました。社長が営業です。社長さんは奥さんもいるんですが、社長が別に愛する人経理(一同笑)。ブラック企業どころか、ブラックホールの真ん中にいるような会社で(笑)。土曜も日曜も働きづめで、残業料も夜間手当も全くない。何でぼくが採用されたかっていうと、腰かけのつもりだったんで面接のときに希望する給料を社長さんに訊かれて、仕送りとバイト代を合わせた額に5000円くらい足して言ったら、その場で採用ですよ。希望の額がいちばん安かったから。脚本書けないんで辞めて、フリーのコマーシャルのライターみたいなことをして、もう25歳になってました。

 先生に原稿を送ったら、はがきが来て太い字で3行。「読んだ。力作です。拙宅に来なさい」。京王線高幡不動で降りて、バスの終点が団地。夕暮れに先生がステッキついて、そんな歳でもなかったけど悠然と待ってる。忘れませんね。その作品は社会派なんですよ。青年4人が大学を卒業してうまくいかなくて、挫折しても戦いは止めないという絵に描いたような社会派の青春物(笑)。先生は「この調子で頑張れ」と、帰りはバスでなくて先生と奥さまに近道で駅まで送っていただいて。「あせるな。きみは手で書くな」と。「手で書く」というのは、ぱぱっと書くということですね。全身全霊を傾けて書け。本数じゃない、調査して書けと。いつかはデビューできるって言われるんですけど、もう25。何本か書いてシナリオコンクール出しても、1次か2次で終わりなんですね。小説書いたら3次まで行ったんで、そのほうが早いんじゃないのって思ったり。

 よく考えたら2本立ての添え物映画のほうに気持ちが行っちゃうんですね。山田洋次監督の『吹けば飛ぶよな男だが』(1968)とか西村潔監督の『死ぬにはまだ早い』(1969)とか。胸がきゅんきゅんするというか(笑)。黒澤明監督のとかは「お疲れさまでした」という感じで何も残らない。B級C級のほうがね。そういう作品をやぶれかぶれで書いたら、師匠は「こんなことをするためにきみは頑張ってきたのか! 手で書いてる」と。重いテーマを軽く明るく書くというのはだめですかって言ったら、そんなのは後でいいんだ、1作目はぶつかり合いで人間やテーマを描く、そういうことをやらないとプロになったときにつぶされるぞと。帰りがけにこの野郎って思いましたけど、電車では先生の言う通りかなと思って。

 翌年にテレビ朝日で「土曜ワイド劇場」がスタートして、テレフィーチャーっていうんですけど、各制作会社に企画出してくださいって来て。日活もつくるんで、師匠は日活芸能学院でシナリオを教えてましたんで、そのつながりで日活撮影所長だった黒澤満さんに言われて、脚本家の卵として紹介してもらいました。伴一彦くんとかもそうですね。プロット書いて採用されたら(それをもとに)プロの他の脚本家が書くという話で、ぼくは生意気にも降りたんですね。先生にだめだって言われた「蜜月」ってアチャラカな脚本を置いてきたら、黒澤さんが読んで、なんか新しい感じがすると。赤川次郎さんが出ようとする時代ですから。のちにその脚本は『俺っちのウェディング』(1983)って映画になります。

 『探偵物語』でやっとデビューするとき、1979年9月オンエアなんですけど、その年の8月に師匠は亡くなって見ていただいていません。

【その他の発言】

 ぼくは重いテーマを軽く書く、テイストはB級というのをやってて、猪俣さんが生きてたら何やってんだと言われたと思うし。人と人が対立してがーっとなるのもひとつですが、どうもそうはいかない、ぶつかりそうで気弱になったりするというぶつかり方もあるんじゃないの?っていうのがぼくのドラマなんで。先生からの教えがなかったら、ぼくのも通用してなかったと思います。ベースは自分の怒りや何でこれを許しているのか、真正面からじゃなくてはすのはすぐらいから軽めに冗談半分でっていうB級の精神。口幅ったいですけど根っこは押さえてるというのがある。猪俣先生の門下でなかったら軽いものは書かなかったんじゃないかと。

 『白か黒か』も途中まではテレビの2時間物みたいで、でも真相究明に突っ走ってそこまでやる?と。バイオレンスでもロマンスでも、そこまでやるかってのは映画の醍醐味ですね。当時は60年安保の前で、世の中も騒然としてきている中でのアゲインストで、聖職者でも一枚めくればこんなでこれでいいのか。こういうことをやっちゃうことが芸なんですね。いまはコンプライアンスで、綺麗ごととかスタイルだけで終わらせてしまう。いま見て、猪俣勝人ってすごいと思っていただけると。