【『ベラドンナ』第2弾の『片腕』 (2)】
杉井「丸山プロデューサーはときどき変なことを(笑)。『ベラドンナ』(『哀しみのベラドンナ』〈1973〉)がフランスで話題になってるんで第2弾をやりたいということで、それでスタジオに行ったら企画書ができてて。川端康成の「片腕」という。
ぼくは読んでなかったんで原作を渡されて、こんな作品をアニメにするんですか…。川端康成はもともとシュール文学で、この「片腕」はわけわかんない。ぼくは山本暎一さんと共同監督になってるんですけど、川端康成を理解しなきゃいけないということで読み込んでいきました。そうしたら「片腕」には川端康成の美学が全部つまっているんじゃないか。深井(深井国)さんが絵を描いてくれて、丸山さんのプロデュースでつくりました」
丸山「『ベラドンナ』を思わせるようなフィルムにするには深井さんと暎一さんがいないといけないと。そしてスケベでなければいけないと。川端康成は晩年、老境に入ってから異常なんですね。『眠れる美女』(新潮文庫)というのは女性が好きで好きで、もう極限まで行ってる感じで。お金もない、時間もないという中では止め絵が前提で、深井さんの絵は動かさなくても見ていられる。ぎっちゃん、動かさないようにお願いと(笑)。やっと完成しました。
それなりにお金かかってるんで、ただでお見せするわけには(一同笑)。公開のめどは全くついてないんです。
暎一さんと深井さんがいれば『ベラドンナ』に関連するフィルムができるかなと。『ベラドンナ』のような挑戦はとても無理なので」
杉井「『片腕』の女は男が片腕を貸した女で、セックスの後のはずだと思うんだけど、その片腕が口をきくというシュールな話で。その片腕はどう読んでも処女。でも同じ部屋にいたんだから処女じゃないだろうと思うんだけど。腕を貸した女は母で、片腕は娘という前提なのかな。最初に読んだときは変な小説だなと思って、よりによって何でこれを」
丸山「(笑)暎一さんも乗ってプランを書いてくれて、でも読んだら原作を使ってない。困ってぎっちゃんに相談して、ノーベル賞作家の文章をまるで違うふうにするわけにはいかない(笑)。暎一さんがやりたいのはこの原作にインスパイアされた別のものだったんですね。そんなに老け込んでないぞ!という。そこまでやらないでくださいって言っても「おれは耳が聴こえないから直せない」と(一同笑)。ただ川端康成はいじりたくなかったんで、基本的には同じ言葉を使っています。原作の香り、言葉の香りは生かしたい。
元気で自分で監督をやるんだったら、言葉を変えるというのも絶対ないことではないんですが。ぎっちゃんと共同監督ですから。この作品以外に他のこともやってて「こういうのやりたいんだ」とか。すごいエネルギーですね」
美術は深井国が担当。
丸山「深井さんはほんとによく描いてくれました。素晴らしいですね。相当な量です。かなり緻密で、こんな時間でこんなお金で申しわけない。ちゃんと画集にできるくらい」
杉井「『ベラドンナ』ではまだ深井さんも若いときで、何十年も経った『片腕』ではキャラクターも年増になってる(笑)。ベラドンナは初々しいんだけど。深井さんの線は強弱がない。もう80代でも、線のころは『ベラドンナ』のころと変わらないですね。線に品がある方です。映画も好きで『片腕』でもかなり大量に描いてくれて」
丸山「深井さんはほんとに暎一さんが好きで、『ベラドンナ』でも大変だったと思うんだけど。『片腕』でもいいよいいよって積極的にやってくれて。『ベラドンナ』の印象が良かったから『片腕』にも乗ってくれたんですね。丁寧にやってくれて、ぼくはラッキーでした」
現状では未公開だが…。
丸山「どうやって公開するか、かかった費用を回収しないと申しわけない。商売として回収のめどが日本では立たない。外国持ってくしかないかなとか。ぼくは回収できないものばかりつくっていて、何とか回収できるものをつくりたい。
『ベラドンナ』ではある種の失敗があった。つくりつづけたら、アニメーションが30年前にいまの状態になれたかもしれない。暎一さんではなくプロデューサーのほうに問題があったのかなとぼくは思ってるんですね。
当時はアニメーションの実験を評価するということもなくて、いまになって再評価が始まっていますが。暎一さんのことが本にもなっていない。著書が1冊あるだけで。アニメーションの作家性が評価されてきたのも最近ですから。山本暎一は虫プロの人って扱いでしたけど、アニメの『ジャングル大帝』は手塚作品というより山本暎一プロジェクトなんですね」