私の中の見えない炎

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杉井ギサブロー × 古川雅士 × 丸山正雄 トークショー レポート・『哀しみのベラドンナ』『片腕』(4)

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手塚治虫先生について】

杉井「手塚先生は何であんなに大きいんだろうっていうくらい、虫プロの監督にダメですと言ったことがないですね。虫プロは作家集団だと。ぼくらはまだ若くて、小学校のころから手塚ファンだったけど、手塚先生は大物だって顔を見せたことがなかった。その懐の大きさが『ベラドンナ』(『哀しみのベラドンナ』〈1973〉)を生ませた。ぼくのやった『悟空の大冒険』(1967)もはちゃめちゃですから」

丸山「手塚さんのことをよく知らないで虫プロに入ったんですが。『悟空の大冒険』は20代の監督の杉井ギサブローが手塚先生の原作を、これ古いから面白くないって言ってキャラクターごと全部変えてギャグにしちゃう(一同笑)。手塚先生を出入り禁止にする暎一(山本暎一)さんも全部変えちゃうギサブローもすごいけど、認める手塚さんが…。少しは原作使えよとか、ないんですね。作家集団と言っても作家なんてそんなにいないんだけど、作家を育てようという。ぼくは手塚先生でない『あしたのジョー』(1970)の企画をやりましたけど、そういう土壌があった」

杉井「『ベラドンナ』を許す空気感というか。丸山さんも古川さんも、虫プロに関わった人たちは自由な気質が特徴としてありますね。

 手塚先生は真夜中に他の作品をやってるカメラマンに「これ撮影してもらえませんか」って言って「いま他のをやってます」って言っても「いえ、これを先に」って。先生自身がルール違反を。夜中に撮影室に入って、ネガを素手でいじっちゃったとか」

古川「あの人は、みんなによく思われたいんですね。夜中に編集室に来て、ぼくらは編集してたら「いやあ古川くん、こんな夜中まで大変だね」って。進行の〇〇さんにやれって言われたって言ったら「ひどいね、〇〇くんは。こんな夜中まで仕事させて」って。〇〇さんが現像場から帰ってきたら、手塚先生は「○○くん、ご苦労さん!こんな夜遅くまで」って。さっきまで悪口言ってたのに、本人が来たら誉めちゃって(一同笑)」

丸山「外面がいいというか(笑)」

古川「江古田にスナックがあって、夜中に手塚さんと3~4人で行ったことがあるんですね。あの人いつもケントっていう外国のタバコをくれるんですね、自分は吸わないのに。そこで手塚さんはカラオケで、フォーククルセダーズの「悲しくてやりきれない」を唄ったんですね。やっぱり大変なんだな。あんなに明るく「はい、タバコどうぞ」ってぼくらにくれるのに。「悲しくてやりきれない」を一生懸命唄ってました。大変なんだなとつくづく(一同笑)」

杉井山本暎一、ぼくやりんたろう、富野(富野由悠季)氏も虫プロで育ってますけど、ほんとに多くの作家やプロデューサーを育てた。虫プロはアニメに大きな役割を果たしたんですね。手塚先生の率いた自由な気風があって、手塚先生自身が挑戦的でやりたいんだからやってみればと。『悟空の大冒険』も外から攻撃や批判はあったようだけど、手塚先生が引き受けてくれて。いい時代に育ててもらったと思いますね」

 

【『ベラドンナ』第2弾の『片腕』 (1)】

 丸山プロデューサーが『ベラドンナ』を意識して企画した『片腕』。山本暎一杉井ギサブロー監督で既に完成している。

 

丸山「4~5年前ですけどフランス行ったときに『ベラドンナ』の評価が高かったんで、日本では無視されているんですが『ベラドンナ』にインスパイアされたものはできないか。深井国さんの絵も大きい。山本さんと深井さんとで短篇をできないかと考えたのが5年くらい前。いろいろさがして、フランスで有名な日本の作家は誰ですかって訊いたら、三島由紀夫とか川端康成とかが通用しますと。川端康成の短篇をさがして「片腕」というのがあってこれだ!

 深井さんの絵でということで山本さんと連絡とって、ぎっちゃんと横浜で打ち合わせしたんですね。耳が聞えないんで筆談しましょうと。監督は難しくてもプランニングに参加してもらって、メールのやり取りもしまして。『ベラドンナ』と同じ手法で止め画をメインにして、杉井さんにバックアップしてもらって、声は朴璐美に入れてもらって30分で完成しました。暎一さんに見てって持っていかなきゃいけなかったんですが。ただ『ベラドンナ』ほど激しくはないですね。理性と言うか知性が(一同笑)」(つづく