新課程用『新編国語Ⅰ』(筑摩書房)に脚本家・山田太一氏の「ふぞろいの林檎たちへ」が収録されている。その教科書に準拠したカセットテープが制作され、山田氏が高校生に向けて話している。
その話は「国語通信」1994年初春号に収録されており、以下に引用したい(用字・用語は、可能な限り統一した)。
大学に入ってからのことになりますけれども、本を読みますと、それをノートに抜き書きする習慣が私にはありました。「ふぞろいの林檎たちへ」というのは、その抜き書きを横に置いて、その中から、話の糸口になりそうな言葉を取り上げて、それについてお話をするという形で話した作品です。みなさんが読んでくださったのはボーヴォワールの言葉ですけれども、それ以外にもいろいろとございます。若いときですから、詩みたいなものもとってもいいなあと思って書いておいたんですけれども、その中からジャック・プレベールというフランスの詩人の「夜のパリ」という詩を読んでみます。
夜のパリ ジャック・プレベール
三本のマッチ ひとつひとつ擦る 夜の中
初めのは 君の顔をいちどきに見るため
次のは 君の目を見るため
最後のは 君の唇を見るため
残りの暗闇は 今のすべてを思い出すため
君を抱き締めながら
という詩です。まあ、こんなロマンティックなことは僕はその頃なかったんで、こういうことあったらいいなあと思って書いたんだと思います。
それからチェーホフという、ロシアの小説家であり、戯曲を書いた作家がいますけれども、その人に『手帖』という、短い言葉をたくさん書いたものがあります。これは文庫本になっておりますから簡単に手に入ると思います。その中から、短い言葉ですけれども、
男と交際のない女はだんだん色褪せる
女と交際のない男はだんだん馬鹿になる
というのを抜き書きしています。まったく私もそう思うんですね。やっぱり異性というものは、ほんとに精神だけでなく肉体までも活性化してくれる大切なものだと思います。

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大学へ入った頃ですので、今までのことは全部忘れて新しく出発しようというふうな、何もかも新しい気持ちでその頃おりましたけれども、でも、いざスタートしてみると、まるで新しく出発することはできないわけですね。今までの、短かったにせよ人生があるわけです。それはみなさんも、高校に入られて、何もかも新しく出発するわけにはいかない。もう自分というものがかなりできている。そしてその自分の中には動かし難い部分もありますね。顔であるとか背丈であるとか、まだ動かし難くはないかもわからないけれども、私はもう大学生でしたから、ああ、何もかも新しくやることはできない、やっぱり自分とは何か、自分の限界というのを知らないと、いろんなことをやっても軽薄になってしまうな、という思いがあったときに、スタインベックというアメリカの小説家の『怒りの葡萄』という、これは映画にもなって有名な作品ですけれども、それを読んでいましたら、これも短い言葉ですけど、
新しくやり始められるのは赤ん坊だけさ
というセリフがあったんですね。まったくそうだなと思いました。やっぱり、もう高校まで来られると、皆さんももう何もかも新しくというわけにはいかない。ご自分ができているわけですね。そしてご自分がどんなものが好きか、どんなものが嫌いか。どういう世界に今の日本がなったらいいかとか、そういうことをやっぱり自分では思ってないような気がしていても、内部にいろいろ抱えてしまっているわけですね。それをあんまり逸脱して頭だけでいろんなこと考えていても、やっぱり身になっていかない。もう、自分というものは何かということを考える時期に来てしまっているというか、成長していると思います。
ボーヴォワールの言葉の「私は人間を理解することがとても下手ですぐ人間を判断してしまう」。これは『女ざかり』という、自分の若いときのことを書いた文章の中の一節なんですけれども、私はそれを読んでほんとに自分がそうだなと思ったんですね。人を見るとその人の身になろうとかそういうことは考えないで、まああいつはこの程度の奴だとか、自分にとっていい奴か悪い奴かとか、駄目な奴とか、顔がいいとか悪いとか、そういうことをパパッと判断して、イメージであるとか現実的な必要であるとか、そんなことで判断してしまう。その人は本当はどういう人かということを考える余裕がないまま、大学生活を送っていたなというふうにその頃思ったんですね。ですから、そうなんだ、やっぱり人間というのは判断しちゃいけないんだ、理解しなきゃいけないんだというふうに目をひらかれた気がしたんです。理解するということは結局突き詰めて考えれば、相手の身になるということだというふうに思うんですね。(つづく)
以上、「国語通信」1994年初春号より引用。

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