私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

四方田犬彦 トークショー レポート・『親鸞への接近』(4)

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 法然南無阿弥陀仏を10回言えば浄土に行けるという。親鸞は難しい修行はいらないという。それで行けると言われても、そんな簡単なことでいいんですか。弟子は“先生、ほんとにそんなのでいいんですか?”と。

 親鸞は“きみの心は煩悩で汚れているよ。だから信じられないんだよ”。ただ親鸞でさえも、ほんとに行けるかは判らない。“ほんとは止めちゃおうかとも思うんだよ。でも南無阿弥陀仏って言って浄土に行ければいいんであって、もともと人間は地獄に堕ちるに決まってるんだから、こんなことで浄土に行ければ儲けものじゃないかね” 。そんな話になっちゃう。しかし私はきょう何回も南無阿弥陀仏って言ってますね(一同笑)。易しい修行と難しい修行、そういうことにだんだん突き当たってきたわけです。

 法然は念仏を唱えればいい。親鸞はもっとすごくて念仏の意味なんて判らなくてもいい。ただ一生に1度どこかで言えば、ちゃんと登録されて浄土に行けますって。法然もそこまでは言ってません。その前の源信は、死の直前に言わなきゃだめですよ、西の空を見ながら言いなさいって。そのときに死ななかったらどうすんですか(一同笑)。親鸞は、どんな悪人でも一生に1度言っとけば大丈夫ですと。悪い奴に限って地獄に行きたくないから、南無阿弥陀仏って心を込めて唱えるから浄土に行ける。弟子が“1度言えばどんな悪いことやっても大丈夫なんですか?” “そりゃ違うな。風邪薬あるからってわざと風邪にかからないだろう?”って。

 そのころの法然の論敵の明恵上人の本を読んだんです。明恵は念仏を否定する。法然明恵は、末法の世の中だってことは共通している。お釈迦さまが生まれて500年間はちゃんとしてた。その後は末法で誰も戒律を守らないし、めちゃめちゃになった。ただ明恵末法だから仏陀に戻れ、お経を読め、原理主義なんです。念仏なんてもってのほか。法然は、末法だから人の頭が弱くなってる。お経が理解できない。簡単で誰もができるもの、南無阿弥陀仏だったら誰でもできる。いちばん単純にこれだけっていう考え方。いまでもこの二項対立はありうると思うんですね。いまの子どもたちは学力が落ちてるからゆとり教育をやるか、いまこそきちんとした教育をするか。原理主義か、現在に合わせるか。

 親鸞は、生前にこっそり難しい本を書いてたんですね。他の弟子にも見せずに。『教行信証』(岩波文庫)といって、これがとにかく難しい。歯が立たなくて、判らないから英語になったのを読んだり。読むと考えが変わってくる。親鸞は念仏だけでいいんだ、難しいことはいらないって言ってる裏で、こっそり難しい理論書を書いて、お経をいっぱい取り上げて世界中の仏典から引用してる。いろいろ抜き書きして分厚い本を書いて。親鸞のことを言ってる人は、だいたいインタビュー集の『歎異抄』についてです。五木寛之も、吉本隆明もです。『教行信証』と『歎異抄』を見ると、ものすごく違う。『教行信証』を書き終わった後で、弟子に向かって喋ったことを、死んで30年くらい経ってから弟子がまとめた。『歎異抄』が正確かとの保証はないんです。 

教行信証 (岩波文庫)

教行信証 (岩波文庫)

 

 私の父親の世代、日本の敗戦を知らされないで獄中で死んだ三木清。花形哲学者の彼は最期に親鸞について書いてました。遺著ですね。私がいちばん尊敬してる哲学者で、世界が終末を迎えようとしてるときに知識人は何ができるかってのがテーマ。末法のときに何をすべきかで、大東亜戦争で日本が滅びようとするときに何ができるか。三國連太郎、三國さんとは親しかったんですが。親鸞の教えは階級を否定する。被差別部落民、屠殺などを生業とする人への親鸞の共感、そういう共同体に親鸞がいたということに彼はこだわりつづけてる。彼は映画も撮ったんですね(『親鸞 白い道』〈1987〉)。カンヌ映画祭で賞ももらってます。 

あの頃映画 「親鸞 白い道」 [DVD]

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 そして吉本隆明。50歳で親鸞の本を書いて、89歳まで生きた。人生の真ん中のときに、親鸞は死ぬ直前に何を考えてたかを書いたんですね。親鸞は90歳まで生きて、吉本さんは50歳で人間が歳をとるってこういうことだって本を書いてる。吉本さんは89歳、三國さんは90歳。親鸞について書くと三木清みたいに若くして死ぬか、親鸞みたいに長生きするかどっちかです(一同笑)。私も何とか…。この本を手にとってくださる方も長生きしていただきたい。

最後の親鸞 (ちくま学芸文庫)

最後の親鸞 (ちくま学芸文庫)

 

 親鸞は80歳くらいまで、あんまり書いてない。全集を読むと80代の論文や書簡が多いんですね。80歳になって、さあ書くぞと。あのエネルギー…。亡くなる直前までクリアで、いっぱい書いています。吉本さんも、80歳くらいからいっぱい本出してる。歳とってからどこまで思考が到達できるか、そこまでこの本は考えが及ばなかったです。

 ずっと親鸞が逃げてきた四方田がいかに向き合うようになったか。それと私の父親世代の3人が、違う角度から親鸞はすごいって言った。自分と年齢が近かった中上健次は46歳で死んだんですが、親鸞の悪い人間ほど浄土に行くって思想をどう考えてたか。そのことも書きました。自分で考えてやってきたから、他力本願ってのが判らないって言ってました。もうちょっと長生きしてれば、突っ込んで話せたかもしれません。全集も編纂しましたけど、親鸞のことは1回しかでてこない。

 親鸞について結論は出してないんですが、それでよければお手にとっていただきたいと思います。5年くらいずっと書いてた。どんな方が読んでくださるか全然判らない。韓国について本を書くのをためらってたら、中上健次が日本人が一生考えても結論出ないんだからノートの形で出しといいんだよって。今回、読者の方に会えたってのが大きい。いまの日本の制度では、法然親鸞みたいにマンツーマンで話すってなかなかできない。親鸞について対話ができればと思いますね(拍手)。 

親鸞への接近

親鸞への接近