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三池敏夫 トークショー “特撮映画の美術 井上泰幸の時代” レポート (1)

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 伝説的な『ゴジラ』(1954)から90年代まで数々の特撮映画に参画してきた井上泰幸美術監督。その功績について、かつて井上氏に師事した三池敏夫氏が解説するトークショーが京橋で行われた。

 三池氏は映画『ガメラ 大怪獣空中決戦』(1995)や『ウルトラマンサーガ』(2012)、『シン・ゴジラ』(2016)などを手がけたほか、地震で被災した熊本城をミニチュアで再現するプロジェクトにも関わっている(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

三池「井上泰幸デザイナーに教えをいただいて、いまもミニチュアの仕事をやっております」

 

 まずは『空の大怪獣ラドン』(1956)の話からで、以後は概ね制作順のお話となった。

 

三池「最初の怪獣映画の『ゴジラ』の2年後ですね。初のカラー怪獣映画で、ミニチェアで福岡を再現したことで、日本の特撮はミニチェアがすごいと世界が驚きました。

 井上さんは福岡出身です。新東宝から東宝に入って『ゴジラ』から特撮スタッフをされましたけど、『ラドン』は九州が舞台で、阿蘇からラドンが出てくる。井上さんは古賀市出身で、自分が生まれた福岡でラドンが暴れるということで、こだわってました。

 クレジットに名前が出るのは渡辺明さんというデザイナーで、当時はトップの人しか(クレジットに)名前が出ない。井上さんは出なかったですけど、スケッチや図面を描いてミニチェアに精魂込めていました。

 福岡のロケハンでは(現地の建物に)工事中の足場がありました。ミニチェアでもそのまま再現してる(一同笑)。ラドンが降り立つ西鉄のビル、窓枠のつくりからカーテン、どこまでこだわるんだというくらい。屋上の遊具も。円谷英二監督も渡辺明デザイナーもここまでやれとは言ってない。渡辺さんは管理職で、現場で徹夜で飾り込むときの陣頭指揮は井上さん。井上さんのこだわりが活きた最初が『ラドン』ですね。

 図面をくれたビルもあると思うんですけど、壊されるのは厭ですから断られるんですね。だから測れるところは測って、採寸する。博多の街を全部足で回って測る。それくらいの努力をしろと、井上さんの指示ですね。こうやって緻密に採寸してセットをつくった。

 ミニチェアのビルは石膏で、石膏のままだと固いので(壊れやすいように細工して)もろくする。一発勝負ですね。ビルは20分の1です」

三池ラドン阿蘇から出てきて阿蘇に戻る。阿蘇のオープンセットは撮影所の中のセットで、噴火の撮影では溶岩を流してます。ほんとの鉄で、いまでは考えられない。セットのホリゾント、背景の空は高さに限度があって見上げられない。円谷監督は不満だったみたいで、『日本誕生』(1959)での噴火では実際の空を狙ってホリゾントを立てずにやってます。そのかわり後ろに(鉄を流すための)櫓を組んでるので、隠すのに苦労したらしい。ほんとの鉄ですよ。こういうのを撮影所でやるって掟破りですね。井上さんは(櫓を隠すために)山に出っ張りができたっておっしゃってました。苦労した分、いい画が撮れたと。

 『世界大戦争』(1961)では川口の製鉄所に撮った画もあるという…。撮影所の中で撮ったのは、変わり果てた国会議事堂の周りに鉄が流れているところです」 

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三池「日本の特撮は怪獣・ファンタジーと戦争・歴史ものとの二本柱で、同じような技術でつくられていました。『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』(1960)は、『ハワイ・マレー沖海戦』(1942)のリメイクというか。東宝がカラーのワイドスクリーン真珠湾を描いた。当時は簡単に海外に行って調べることはできませんから、地形とかは海図からです。井上さんはグラビアの切り抜きも大量に持っていらっしゃいました。オアフ島の一角に真珠湾があって、井上さんの図面はカメラポジションなどもあるのでちょっと正確じゃないです。

 東宝大プールの深さは90cmか1メートル。場所によって深さは違いますけど。カメラの画角は手前が狭くなるので(セットは)全部をつくらなくてもいいですけど、絞り込みすぎると波がうまくいかなくなる。水柱は火薬です。真珠湾攻撃は冒頭で終わっちゃうんですが、ミッドウェイ海戦の場面はさっきの(真珠湾の)セットを解体してつくり変えてます。山も解体して、海の中に環礁があるようにしてる」 

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三池「昔は手で波を起こしてたんですけど、効率悪いので波起こしマシンを。でかい金属の塊で、モーターで上下して水を押す。あふれた水は溝に落ちて(監督やカメラに)かからないようになってます。『ゴジラvsデストロイア』(1995)のとき(プールを)小さくして、それでも広いんですが、このときも波起こし機を使っています。こういう装置の図面も井上さんが引いてたと聞いています。プール自体も井上さんの設計です。円谷監督がイタリアのチネチッタの特撮プールの図面を持ってきて、渡辺さんでなく井上さんが渡された。『ゴジラ・ファイナル・ウォーズ』(2004)でプールは壊されて、1か月も経たない間になくなっちゃいました。この敷地に新しいスタジオが建ってます」(つづく) 

 

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特撮映画美術監督 井上泰幸

特撮映画美術監督 井上泰幸