イラスト・グラフィックデザイン・詩・絵本・童話など多彩な作品を遺して、1986年に46歳で急逝した東君平。
1973年から1986年まで毎日新聞に長期連載した『おはようどうわ』(単行本はサンリオ刊)や『おかあさんがいっぱい』(金の星社)といった童話や、青春ファンタジーのショートショート『くんぺい魔法ばなし』シリーズ(サンリオ)などの仕事が代表的である(すべて絵も担当)。
そのような散文と平行して、詩の創作も精力的に行われた。超現実的でファンタジックな内容から幼いころの記憶、青春時代の感傷をつづったものまであり、その全部が傑作だとは思わないけれども白と黒の絵と相まって、子どもだった筆者には強い印象を残した。
東君平は、ネコなどの動物や子どもなど丸く単純化されたかわいらしいイラストで知られており、小淵沢にある “くんぺい童話館” の看板もかわいいタヌキが使われている。だが初期の東君平の切り絵は黒く太い線によるウサギや細密に描かれた樹枝など、あくが強い。黒さが強調された画世界は往年の藤子不二雄Aを想起させる。
『二十一歳 白と黒のうた』(サンリオ)に収められた初期のイラストには、群生する草木が細かく描かれ、デフォルメされた人物やネコなどの眼はぎょろりとしている。幻想世界や田舎の光景など牧歌的に描写することもできるはずなのに、何やら悪夢を見ているようで若き日の東の心象風景を感じなくもない(人物や動物の表情はユーモラスでもあるのだが)。あとがきによると、21歳当時の東は極貧のさなかにいたようである。
「もう私の上には戻って来ない過去になってしまったが、懐かしいようなもう二度となってみたくないような、それでいてもう一度戻ってみたい歳だ」(『二十一歳 白と黒のうた』)
やがて東君平の画風は変貌する。1960年代に描かれた『二十一歳』や『魔法使いのおともだち』(サンリオ)のタッチは先述の通りやや毒を感じされるものであったが、70年代に至るとイラストは簡略化されたシンプルでかわいいものになった。
1973年に東は「週刊文春」の誌上にて “イラストレーター廃業宣言” の広告を出し、詩や文章に力を入れていくと言明する。廃業と言っても絵を止めたわけではないが、画風が変わった時期とときを同じくするので意識的な “自己革命” であったのだろう。
『二十一歳』と同じく青春時代を扱った詩集でも、後年の『はちみつレモン 君平青春譜』(サンリオ)は印象が相当に異なる。初期の毒のあるタッチもいいけれども、後期のほのぼの感も素敵である。
詩に関しては後期のほうが洗練されているように思われる。個人的な話で恐縮だが、筆者はまだ青春時代に至る前に東君平の詩を読んでその年齢に思いを馳せており、とっくに青春など終わってしまったいまも東の詩やイラストが何かの折りに気持ちを横切るのだった。
字数の関係上、申しわけないけれどやや略して引用してみたい。
「酔ったついでに
詩なども書いて
気楽に暮らしたはたちの頃は
夜になるのが待ち遠しくて
朝がくるのが何だか嫌で
絵具だらけの手で呑む安い酒
見た目は びんぼう画学生でも
心の中はいつも燃えていた
“おれの才能(ちから)も捨てたものじゃないぞ
まあまあだよ サティスファクトリー”
きみの言葉や
笑った顔を
忘れず暮したはたちの頃は
嬉しいことを知らせたかった
悲しいことも話したかった
壁の写真に話かけ涙ぐみ
見た目は さみしい画学生でも
心の中はいつもふたり連れ
“おれたちの仲も捨てたものじゃないぞ
まあまあだよ サティスファクトリー” 」(『はちみつレモン 君平青春譜』)
「甘くて すっぱい
はちみつレモンは
どこか自分に似ている気がする」(同)