脚本家として『阿修羅のごとく』(1979)、『あ・うん』(1980)といった綺羅星のような名作を発表し、数々の優れたエッセイ・小説でも知られた向田邦子が事故で急逝したのは、1981年のことである。
生前の向田と『寺内貫太郎一家』(1974)、『源氏物語』(1979)などで組んだ演出家の久世光彦は、向田の死後もテレビ・舞台の向田邦子作品を多数演出した。そのひとつが1985年から2001年まで継続した向田邦子新春シリーズである。このシリーズは向田邦子が遺したエッセイや小説からヒントを得て新作ドラマを創作するというもので、向田作品の忠実な映像化というわけではない。それゆえ向田の個性と言うより、それぞれの脚本家や全作の演出を手がけた久世光彦の個性が投影されている。
筆者は1990年代半ばから2001年までリアルタイムで毎年見ていて、青春時代の郷愁をちょっと感じてしまったりするのだが(笑)最近ちょっと久世光彦熱が高まってきたので、未見の作品もすべて制覇してみたくなった。
以下は筆者個人の感想で、やや否定的なものも混じりますがご了承ください。このシリーズを論評したものに小林竜雄『久世光彦vs.向田邦子』(朝日新書)という好著があり、度々参照させていただいた。
【『春が來た』~『冬の家族』】
向田邦子の死から半年後の新春に放送された『春が來た』は向田邦子新春シリーズの言わば前哨戦とも言うべき作品。それから3年後に3週連続で『眠る盃』に始まる三部作が放送され、向田邦子新春シリーズが始まった。
この4作品はいまだシリーズ化が決まっていない時点で制作されており、レギュラーとしてシリーズの顔になる田中裕子の姿はない。すべての脚本を柴英三郎が執筆。
Pre『春が來た』(1982)脚本:柴英三郎
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最晩年の向田邦子は馴染みの演出家・久世光彦と組んで、漱石の『虞美人草』映像化の準備を進めていた。だがシナリオを書き出す直前に、向田は急死。久世は『虞美人草』に出演予定だった桃井かおり、松田優作などのキャストをそのままスライドさせて、向田の短編小説「春が来た」を映像化する。TBSの向田邦子新春シリーズではないが(テレビ朝日制作)久世演出ということもあって、DVDボックスではいっしょに収録されている。
主人公(桃井かおり)の陰気な家族(三國連太郎、加藤治子、杉田かおる)のもとへ、ひとりの青年(松田優作)が現れた。それ以来、春が来たかのように家庭が明るくなる。だがやがて青年は去っていくのだった。
戸が外れたり、テーブルをひっくり返したりするコミカルな演出は久世らしい。三國連太郎や向田作品常連の加藤治子にも、さすがに凄みがある。ホームドラマ初登場の松田優作は当初気乗りせず、桃井かおりと現場で揉めたらしいのだが(松田美智子『越境者 松田優作』〈新潮文庫〉)完成作では茫洋とした青年を好演している。
ただ序盤のダークな雰囲気が一家が明るくなったはずの中盤以降でもなんとなく陰を落としているのでアンバランスな感も。向田の急死からそれほど時間が経っていなかったので、作り手もキャストもショックを引きずっていたのかもしれない。
1.『眠る盃』(1985)脚本:柴英三郎
向田の死から4年後に “恋はミステリー劇場” の枠で3夜連続の “向田邦子新春スペシャル” が制作され、演出はすべて久世光彦が手がけた。この3本の好評がきっかけで久世はシリーズ化を提案。向田原作 × 久世演出のシリーズが始まった。
初回3本は狂言回しの娘役がリレー形式で1夜目は工藤夕貴。父は小林亜星、母は加藤治子と向田脚本の『寺内貫太郎一家』(1974)でも夫婦役だったコンビが配された。この『眠る盃』では工藤夕貴の家庭ではなく、母の友人(八千草薫)と祖父(森繁久彌)との愛が主に描かれており、主人公一家がメインになるその後の作品とはかなり違った印象を受ける。ただ演出の久世光彦、音楽の小林亜星(メインテーマは「過ぎ去りし日々」)、ナレーションの黒柳徹子など後年までつづく布陣はある程度顔を揃えている。ロケ地も後々まで使われる池上本門寺。
やはり向田脚本の代表作である『阿修羅のごとく』(1979)や後年の山田太一脚本『いちばん綺麗なとき』(1999)でも火花を散らした八千草薫と加藤治子のシーンは、場を圧する緊張感が漂う。
それなりに面白いのだが、中高年男女の恋よりも脇で青春真っ只中の工藤夕貴のいきいきした表情のほうが印象に残ってしまう。
2.『夜中の薔薇』(1985)脚本:柴英三郎
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3夜連続の第2夜で娘役は石原真理子に交代。石原の目を通して女性教師(いしだあゆみ)の情念が描かれる。
以降のシリーズがもっぱら1940年前後を描くのに対して、この第2夜では敗戦直後、第3夜『冬の家族』では1956年が舞台になっており、いかにもまだフォーマットが固まっていないシリーズ初期らしい。『眠る盃』と同じく主人公一家は後景にいる。
3.『冬の家族』(1985)脚本:柴英三郎
第3夜の娘役は桃井かおり。タイトルに家族と銘打っているように今回は主人公一家が主に描かれている。
1956年、映画雑誌の編集者をしている主人公(桃井)と恋人(森本レオ)、兄(小林薫)と彼女(風吹ジュン)など兄妹のそれぞれの恋によって家庭に起こる混乱。前2作とは違って家族の応酬がメインになっているが、父(小林亜星)の存在が大きいのは後続の作品とは異なる。
後年に発表された向田和子『向田邦子の恋文』(新潮文庫)に登場する実在の恋人像は、この『冬の家族』の森本レオとほぼ同様。それを世間に知られるようになる前にフィクションの枠組みでそっと描いてみせたのは心憎い(『向田邦子の恋人』は2004年に久世演出でドラマ化もされた)。
寡黙ではっきりしない森本と静かに怨念を漂わせる前妻の金沢碧はなかなかの適役。小林薫、風吹、上司の鈴木瑞穂、友人の岡本麗など魅力的な脇役陣が揃っていながらあまり活躍せず、もうひと捻りほしかった憾みは残る。(つづく)