映画『愛のむきだし』(2009)や『冷たい熱帯魚』(2011)などで注目を集め、最新作『地獄でなぜ悪い』(2013)も話題の園子温監督。
2011年に撮影された真摯な青春ドラマ『ヒミズ』(2012)では、東日本大震災をいち早く取り上げたことでも注目された(『希望の国』〈2012〉では、震災そのものを題材としている)。今年は映画『地獄でなぜ悪い』の他に、テレビ『みんな!エスパーだよ!』(2013)も撮った。
園監督は『地獄でなぜ悪い』の公開直前に、エッセイ『けもの道を笑って歩け』(ぱる出版)を発表。刊行を映画公開を記念して、9月27日に講演会 “地獄でなぜ悪い けもの道の歩き方” が新宿の紀伊國屋ホールにて開催された(メモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや、整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。
【若き日々と『紀子の食卓』】
20世紀の終わりにアメリカでホームレスをやっていました。それ以前は、ほんとに地獄のような時期を過ごしていた。めちゃくちゃしんどい生活をしていて、二度と同じ人生を歩みたくないという気持ちもあります。
愛知県の豊川市に生まれて、何で服を着て学校に行かなきゃいけないかと思ったんです。それで通学路で服を脱いでいって授業を受けようと思ったけど、ダメだった。思い立ったらやろうっていう実験精神です。
小学校から高校まで一度も起立・礼・着席してない。どうしてそんなことをするのって訊いたら、先生が答えられなかったんですよ。母親が恥ずかしそうにしていて、悪かったなと…。
自分のどの映画も自叙伝的なものです。『紀子の食卓』(2006)はレンタル家族をテーマにしました。興行的にうまくいかなかったけど、自分の最高傑作だと思っています。
17歳で家出して東京へ飛び出してきた。東京に出てくれば童貞を捨てられるという思い込みがあったんです(笑)。それで東京駅でものの10分もしないうちに、女性をハントしてラブホへ行きました。田舎者ですから、渋谷でなく東京駅でギターを弾いていた。ビジネス街だから夜は人がいなくて、東京って暗いんだなって(笑)。そこで(通りすがりの)女性に、
「ここで24時間開いてる喫茶店は?」
って言われて「ホテルへ行こう」って意味だと童貞翻訳機で解釈して(一同笑)。ホテルへ着いたら、刃物を出されて、
「いっしょに死のう。ダメなら、田舎へ行って旦那のふりして、いっしょに暮らそう」
って。田舎から飛び出してきたのに、次の日に別の田舎へ行ったわけです(笑)。お母さんは、
「お若い旦那さんね」
って(笑)。それで旦那のふりをしてたんですけど、ある日、
「きついです、東京へ戻りたい」
って言ったら、女性は、
「そりゃそうよね」
とあっさり。二万円もらって東京へ行って、そんで東京で見たのが『時計仕掛けのオレンジ』(1971)。その衝撃たるや…。『紀子の食卓』の(主人公の)吹石一恵が家出するのは、この経験からです。
昔、雑誌「SMスナイパー」のモデルの女の人に会ったとき、
「私はレンタル家族で、いろんなところへ行く」
と言うんです。(父親役の男から)お見合い写真を渡されて、
「お父さんをひとりにして、お嫁に行けますか!」
って言うと男がバカってひっぱたく。小津安二郎みたいなことやって1時間すると、お客さん時間ですって帰ると(笑)。
『紀子の食卓』はこのふたつの経験から生まれました。15、6年くらいネタをためて映画をつくっています。
【『愛のむきだし』】
17歳で家出して放浪していて飢えていたら、五反田の駅前でカルト宗教に声をかけられ、入りました。当時は(宗教に対する)規制がなかった。それを題材にしたのが『愛のむきだし』です。
まだ売れないころ、ぼくの友人が日本でも有数の盗撮魔だったんです。彼はバードウォッチングみたいな純粋さで美を求める盗撮魔(一同笑)。当時、盗撮は犯罪じゃなかったから、ぼくもいろいろ手伝いました。彼もこっちの映画を手伝ってくれて。池袋のサンシャインで盗撮をしていたら、翌日に通り魔事件があって警察につかまりました。それでおまわりさんが「股間が好きで好きでたまりません」という(文面の)反省文を書けと言い出して、ぼくはそのまま書いて、その台詞は映画にもあります(一同笑)。
この盗撮魔の妹が統一教会に入って洗脳されてしまった。普通はプロの人が洗脳を解くんですが、この盗撮魔は聖書とかいろんな文献を読んで自分で妹を脱会させたんです。「ぼくの世界に戻ってこい」って言ったそうですが、お前の世界はおかしいだろ(一同笑)。
その盗撮魔の話と自分の経験に基づいて『愛のむきだし』をつくりました。(つづく)