【末吉裕一郎氏とキャラクター】
末吉裕一郎氏も、中村氏と同じく『クレしん』シリーズや『カラフル』(2010)など、原監督と多数の作品で組んでいる。
原「河童は最初からあのデザイン。末広さんともうひと方に描いていただいて、末広さんのを使わせてもらった。
末広さんが最初に描いてきたのは、シンエイによく出てくるような(デフォルメされた)絵だったんです。でもそうじゃないって言って、特徴のない人物にしてもらった。特徴のない人でいままでにないのをやりたい。最初は頭身も低かったけど、伸ばしてリアルに」
末吉「『河童』の前に『マインド・ゲーム』(2004)をやって、それがよかった」
原「生身の子どもの雰囲気を把握してもらおうと思って、何本か(実写)映画を見てもらったんですが、その中で末吉さんが食いついたのが塩田明彦監督の『どこまでもいこう』(2000)ですね」
末吉「あれは何回も見ましたね。
(キャラは)あれしか描けない(一同笑)。クゥと紗代子は髪の毛とると同じ顔してますからね(一同笑)」
ムトウ「末広さんがちゃんと仕事してるかなって見たら、エロビデオを見てた(一同笑)」
末広「ぼくの机は奥だから、見つからないと思ったら原さんが後ろにいて。足音しねえ(一同笑)」
ムトウ「『河童』のとき、末広さんはずっと仕事してて、いつ寝てるのかなって」
原監督は、子どものキャラのリアリティにこだわっていた。
原「靴もいまどきの子どもが履くようなのとか、夏だからサンダルとかね」
ムトウ「当時原さんに、いまどきの子はこういうの着るんだってローティーン向けの雑誌を見せられて」
原「インターネットは自分ではやらないけど、周りはみんなやってるから何となくは判る。でももう6年経ってるから、いまの子どもは当たり前に携帯を持ってるけど、あのころはそうでもなかった。だから旅行の前にお母さんに渡されてる。全般に固定電話ばかり出てくるのは、自分がよく判らないから(一同笑)」
【『河童のクゥ』の制作体制】
制作には5年以上が費やされ、原恵一監督曰く「かなり悠長につくってた」。
原「ほんとは2006年の夏に公開するって言ってたのが、無理と。じゃあ来年まで延ばそうって。あのときは助かったな、おれ(一同笑)。
社内的には勝手なことやってるねみたいに思われて(制作が)なかなか正式決定しなかった。でもいま思うと、あの放っとかれてるのがよかった」
中村「つくっていて、ああまた夏が来てしまった(一同笑)」
原「何度目の夏だ、みたいな。ダラダラやってました。2006年内に完成してから(2007年7月の)公開まで半年くらいあったんで、公開前の3月いっぱいで退職しました。半年の間に(声の出演の)子どもたちも大きくなったりしてて」
中村「自分の中ではいちばんかな。思い入れは強いですね」
ある程度自由につくることができたのは、当時のシンエイ動画の社風もあったという。
原「『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』(2001)は、偉い立場の人には評判悪かったんだけど、末広さんは初号の後ですぐによかったって言ってくれて。実際にお客さんからの反響もあって、翌年もつくることができたんです」(つづく)