私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

山田太一 講演会(フェリス・フェスティバル '83)(1983)(6)

 学生時代、寺山修司と友達だったそうだけれども、彼についてどう思うかというお話でしたが…。

 これは同級生だから知りあったんで、本当に自然発生的な友達ですよね。全然関係ない人間が求めあって、どこかで会ったというんじゃなくてね、同級生で仲良かったんです。今出てる「現代詩手帖」で、伊丹十三さんと対談してるときにちょっと言ったんですけど、お読みになっていない方が多いと思いますので、ちょっと言いますと…。

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山田太一 講演会(フェリス・フェスティバル '83)(1983)(4)

 ピンク産業についてどう思うかということなんだけれども…。

 今は鈍感を競い合うようなところがありますよね。男なんか特に鈍感だと男らしいと思われるところがあってね…。でも、大体セックスっていうのは哀しいもんていうのかな、離れてみると哀しいよね。どうしてあんなふうに抱き合って…なんか、フェリスであまりこんな話していいかわからないけど…。そういう欲望というのは哀しいときがありますよね。女性はそうではないかもわからないけど、男の場合は正直言うと誰とでもいいときがあるわけですね、女ならね。欲望が非常に強いときはね。そうすると、ものすごく自分が嫌になるというのかな。そういう部分とか、なんか心の交流がなかったら、ほんとに欲望をはき出すのが嫌だとかね。それから、自分の欲望の部分に疲れて、「おにいちゃん、どう?」と言われて、ふらふらそういう所へ来て、のぞき部屋なんていう所でのぞいているというのは、我が身に振り返れば寂しいですよね。僕はそういう所へ行かないけれども…。

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山田太一 講演会(フェリス・フェスティバル '83)(1983)(3)

 早春スケッチブック』をご覧になった方には余計なことだけれども、小市民社会、僕も小市民社会の中で臆病に生きている人間ですけれども、そういうところで生きている人間の価値観みたいなものをね、テレビというのは実に批評しないわけですね。テレビを見て下さる方の大半は小市民だから、その人達の哀歓というのかな、悲しさとか喜びとかというものを批評しないことが一応前提となってるということがありますね、テレビドラマというのは。そうすると、お父さんは非常に苦労しているけれども、家族を守って地道に生きているのに何が悪いというところを批評しないわけですね。

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