映画の場合当然だけれども、面白いか面白くないかということで判断するんですね。でも人間の事実の中ですばらしいけど面白くないものってものも、ものすごくあるわけですね。面白くないものは省いてしまう、描写できないってふうになっている。それから、ストーリーを求めるということですね。ストーリーっていうのは、例えばここで僕がこういう話をしますでしょ。そうすると話が非常に断片ばっかりで収拾がつかないまんま終るとね、なんとなく気に入らない。一つのストーリーがあって、起承転結があって流れがあると納得するというかな。そういうふうなストーリー主義からはみでるようなものは駄目である。今の映画というものは大半はそうだと思うんです。そのために事実というものを捉え損なっている。本当の事実というのは普遍性とか共通性とかから離れてしまうものが沢山あるわけですね。
続きを読む別役実「プロセニアムアーチへの回帰」(1971) (2)
その小さな一本の木と同様、そこに登場するものも、「生身の役者」であれ、劇世界の規定する特定の「登場人物」であれ、どちらでもよい。あくまでも、それの対応しようとしているものが無限の、そして無性格な空間である限り、それは自由なのである。或いは、ベケット空間に於ては、それを「役者」であり「登場人物」であるべく、同時的に肯定するゆとりを持っている、と言う事だろうか。もっとも、それらを含む生活空間は、近代劇空間に於ける生活空間がその三方の壁が規定する性格づけられた空間に対応するように、「無限の無性格な空間」に対応しているのではない。その対応しようとしているものが「無限の、そして無性格な空間」である限り、それはあくまでも「対応しようとしている」に過ぎないからである。従ってそれは、永遠に過渡的であり「相殺されて零」と言う決着は、遂にやってこないのである。
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