私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

別役実「プロセニアムアーチへの回帰」(1971) (2)

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 その小さな一本の木と同様、そこに登場するものも、「生身の役者」であれ、劇世界の規定する特定の「登場人物」であれ、どちらでもよい。あくまでも、それの対応しようとしているものが無限の、そして無性格な空間である限り、それは自由なのである。或いは、ベケット空間に於ては、それを「役者」であり「登場人物」であるべく、同時的に肯定するゆとりを持っている、と言う事だろうか。もっとも、それらを含む生活空間は、近代劇空間に於ける生活空間がその三方の壁が規定する性格づけられた空間に対応するように、「無限の無性格な空間」に対応しているのではない。その対応しようとしているものが「無限の、そして無性格な空間」である限り、それはあくまでも「対応しようとしている」に過ぎないからである。従ってそれは、永遠に過渡的であり「相殺されて零」と言う決着は、遂にやってこないのである。

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寺脇研 ブログ “人生タノシミスト”(2008)(4)

 2008/6/24 喜びと生きがいを

 秋葉原の無差別殺傷事件。このコラムを読んでいる方の中には犯人と同じ年代の人も多いでしょうが、どう感じましたか?

 どんな理由があっても殺人や傷害が許されるものではありません。しかし、犯人が発信していた携帯サイトの書き込みを読むと、この社会の在り方を真剣に考え直してみる必要があるように思います。若者が、自分の将来に簡単に絶望してしまうような社会が、いいわけはありません。

 今度の事件の犯人だけが異常なのではないでしょう。不確実な身分に置かれて働いている若者の中には、不満を抱えている人も少なくないのではないでしょうか。最近週刊ヤングマガジンで始まった古谷実の新しい漫画「ヒメアノール」に登場するのも、そうした若者たちです。いや、若者でなくても、わたしの友人で派遣社員をしている五十代の女性は「犯人の気持ち、なんかわかるなー」とメールしてきました。

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寺脇研 ブログ “人生タノシミスト”(2008)(3)

 2008/4/15 『靖国』 違いを認め合うために

 ここのところ、他の話題が続いて映画の話から遠ざかっていました。その間に起こった騒ぎがドキュメンタリー映画靖国』。2ヶ月近くメディアを賑わせた末、ようやく公開されました。多数の映画館が公開を見送った中、うちでやると名乗りをあげたのが渋谷・東急bunkamura前のシネアミューズ。東京で4つの映画館が上映を見合わせたにもかかわらず引き受けたことに敬意を表したいところです。

 当然とはいえ初日から満席の盛況だといいます。わたしは、『靖国』をあまり大した映画だとは評価しません。政治的主張が強い、と一部国会議員が騒いでいるのとは真逆に、はっきりした主張が感じられず焦点がぼやけていると思います。靖国神社の問題を真剣に考えようとするなら、この映画を観るだけでは不十分でしょう。他の映画や本で知識を得て初めて、問題の本質が見えてきます。

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