私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

寺脇研 ブログ “人生タノシミスト”(2008)(3)

 2008/4/15 『靖国』 違いを認め合うために

 ここのところ、他の話題が続いて映画の話から遠ざかっていました。その間に起こった騒ぎがドキュメンタリー映画靖国』。2ヶ月近くメディアを賑わせた末、ようやく公開されました。多数の映画館が公開を見送った中、うちでやると名乗りをあげたのが渋谷・東急bunkamura前のシネアミューズ。東京で4つの映画館が上映を見合わせたにもかかわらず引き受けたことに敬意を表したいところです。

 当然とはいえ初日から満席の盛況だといいます。わたしは、『靖国』をあまり大した映画だとは評価しません。政治的主張が強い、と一部国会議員が騒いでいるのとは真逆に、はっきりした主張が感じられず焦点がぼやけていると思います。靖国神社の問題を真剣に考えようとするなら、この映画を観るだけでは不十分でしょう。他の映画や本で知識を得て初めて、問題の本質が見えてきます。

 ただ、これだけの騒ぎになった映画とはどんなものか、観てみる価値はあるでしょう。また、日本人ではなく在日中国人が撮ったという点にも注目する意味はあります。ただそれは、中国人が靖国神社をどう見たか、ではなく、中国人が「靖国神社に集まる日本人」をどう見たかという興味です。それはちょうど、北京オリンピック聖火リレーそのものでなく、中国人が聖火リレーとそれに対する抗議行動にどう反応するかが興味深いのと同じなのかもしれません。

 日本人と中国人が、互いの考え方をどう見るか、というのは重要な問題です。反日親日か、反中か親中か、というレッテル貼りでなしに、互いの違いをどう認識し、ギャップをどう埋めるのか、また、違いを違いのままどれだけ認め合うかこそが大切なのではないでしょうか。

 日本、中国、韓国(体制さえ変われば北朝鮮も)は、隣同士の位置関係にあります。好むと好まざるとにかかわらず付き合っていかなければなりません。その付き合い方を考えていくのは三国にとって永遠のテーマではないでしょうか。そのためには、中国人や韓国人の作る映画に関心を持つ必要があります。ただし、現在公開中の中国映画『王妃の紋章』のような空虚な大作は困りものですけどね。 

 2008/5/27 飲んで語る

 お酒を飲んで親しい人たちと議論をする、というのはわたしの楽しみのひとつであり、同時にストレス解消法にもなっているかもしれません。話題を共有できる仲間とワイワイ言って談論風発というのは、なんとも楽しい時間です。そうした会話の中から、どれだけたくさん仕事のヒントになるような思いつきが生まれたことでしょうか。

 15日木曜には、青少年教育の仕事に携わっている人たちと集まりました。野外体験活動など学校以外での青少年の活動はもっともっと盛んになってほしいのですが、困難な問題も少なくありません。どうしたら問題を乗り越えることができるか、居酒屋での議論は夜遅くまで続きました。

 翌16日金曜は、文部科学省の若い職員たちと議論しました。現在の教育行政は、厳しい眼に晒されると同時に解決しなければならない課題が山積しています。それに立ち向かっている若い役人たちの姿を頼もしく思いました。わたしは既に辞めた者ですが、外から見ての考え方を言える面はあります。つい、午前3時頃まで長居してしまいました。

 17日土曜は、兵庫県加古川市での仕事を終えた後、広島まで足を伸ばしました。93年12月から96年3月までの2年3ヶ月余り、広島県教育委員会の教育長として勤務した場所です。当時の仕事仲間が集まってくれました。広島大学など広島県内に勤務する文部科学省出身の職員も顔を出してくれて、遅くまで昔話や現在の教育談義に花を咲かせた次第です。

 22日木曜は、「映画を観て語る会」の日でした。これは、国会議員、ジャーナリスト、官僚、学者、企業人など幅広いメンバーが、日本映画やアジア映画を観て、それについて飲みながら語るという一点で集まる会です。今回の映画は高橋伴明監督『丘を越えて』。満州事変が起きる直前、昭和初期の東京を舞台に、総合雑誌文芸春秋」を成功させようとする社長の小説家・菊地寛を中心にした人間模様が描かれます。映画について、また、昭和初期という時代について語り合い、今回も、何人かのメンバーでの二次会まで開かれました。

 23日金曜は横浜へ行き、わたしの属するNPO教育支援協会のメンバーなど、横浜の教育関係者が集まって横浜の夜を満喫しました。24日土曜は、千代田区会議員の会派「ちよだの声」の議員さんたちとワインを傾けながら教育について語り合いました。どちらも、結構真剣な議論でした。

 酒ばっかり飲んでるって? たしかにそうですね。でも、これがわたしの発想や活力の源なのです。

 2008/6/10 生涯学習社会を目指して

 仕事で札幌に行ってきました。不登校の子どもたちに対応するフリースクールなど北海道内の新しいタイプの民間による学習支援機関を運営する方々が集まって今後の在り方を考えようという会です。

 10年前には世間から認知されない、いわば日陰の存在だったフリースクールが、しっかり社会の中に位置付いている様子を見ると、何だかんだ言っても世の中は確実に変わっていて、いつでもどこでも誰でも学べる、また、どこで学ぶかでなく何を学ぶかが重視される生涯学習社会に近づいていると感じます。

 もちろん、まだまだ課題は多く、フリースクールなどの従来の学校とは違う形で子どもたちの学習を支える機関が経営面で難しいものがあるのは事実です。それでも、そうした事業に自信をもって取り組んでいる人々の表情を見ていると、未来への希望が湧いてきます。

 全員が画一横並びで同じ教育システムに当てはめられていた時代から、ひとりひとりの学習を尊重し様々な形で学べるようにしようというのが生涯学習社会の考え方なのです。一度つまずいたくらいで学ぶ道が閉ざされた時代なんて、早く遠い昔話にしてしまわなければなりません。

 札幌は、ちょうど、よさこいソーラン祭りの最中でした。この踊りは「3年B組金八先生」でも取り上げられたのでわたしもよく知っていましたが、北海道内だけでなく全国から参加があるという多数の団体が繰り広げる勇壮なパフォーマンスは、たしかに祭りという規模に値するものがあります。

 ただ、「金八先生」のように中学生が懸命に取り組む姿は感動的ですが、祭りで踊る団体は達者すぎるために、勇壮なのがちょっと過剰気味でもあるように思います。わたしは、本家である土佐の高知のよさこい祭りの賑やかな中にもゆったりした雰囲気の方が好きだなあ。

 6月は、お薦めしたい映画が目白押し。次回詳しく書きますが、上旬公開では「築地魚河岸三代目」「ぐるりのこと。」「シークレットサンシャイン」を観てほしいと思います。つづく

 

 以上、ブログ “人生タノシミスト”より引用。