私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

山際永三 × 藤木孝 × 星輝美 トークショー レポート・『狂熱の果て』(2)

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【企画・準備段階 (2)】

「(デビューは)14歳くらいですね。名古屋なんですけど、ときどき夏休みなどに上京しておりました。(役者になろうとは)全然。この後で東映に行きましたね。それで3本くらい。上手になれなくて、向いてないなと思ってね」

山際「星さんは、新東宝がつぶれるときの最後の若い女優さんということで、決まってた感じでした。佐川滉さんというプロデューサーがいて、この方が中心でした。藤木さんは渡辺美佐さんの紹介だと思います。佐川さんが、小さいホールで歌ってるから山際見てこいと言われて、行った覚えがあります」

藤木「そのことははっきり覚えてるんですよ。当時ぼくはジャズ喫茶で歌ってたんですけれども、来そうもないような男性陣が4、5人いらっしゃったんですね。なんか勘がしたんですね。張り切って歌ってアピールした覚えがあります。全然違う客筋の方で、業界の方だと第六感で判ったんでしょうね。自分のいちばん得意なものをやろうと思って、ぎゃあぎゃあ歌いました」

「私も見に行きました。数が出てくるような歌だったような…」

藤木「それは「24000のキッス」(一同笑)。はずかしながらデビュー曲です」

「それを歌いながら、私のことを指差してくださったんですよ。舞い上がってしまって。そこで直接は、お話はしていませんね」

藤木「現場でお会いして、すぐに演技しなきゃいけなかった覚えがあります」

山際「新東宝は日本の映画会社の中で、いちばん最初につぶれました(一同笑)。6社あっで毎週2本立てをやっていて日本映画はピークだったんですが、そのしわ寄せを食った新東宝が最初につぶれて、大映もつぶれて、日活もやめたという歴史があります。佐川さんは若手のプロデューサーで、佐川さんもぼくも組合運動をやっていて、佐川さんとは組合つながりです。石井輝男監督がいて、石井さんの作品はだいたい佐川さんがやっていて、ぼくが助監督。

 制作はダメになっていて、営業の人が別の資本家を引っ張て来て大宝という会社をつくろうと。それで大宝で配給できる会社をつくろうってことになって、佐川さんが手を挙げたんですね」

 

【現場の想い出 (1)】

「1本(の予算が)700万で撮るって言ってましたね。私、数字のことしか覚えてない(笑)」

山際20日間くらいで撮ったと思うけど、打ち合わせする余裕もない。とにかく葉山行って海ですぐ喧嘩だ!とか(笑)」

藤木「朝から夜遅くまで撮影した覚えがあります」

「まだ29歳でしたから、監督は独身でいらしたんですか!?」

山際「もう結婚してましたよ。新東宝に入って1年目で結婚しました。その彼女も亡くなっちゃいましたけど、彼女とぼくとの関係がこの映画でのおふたりの関係に投影されていると言っていいかもしれません!(一同笑)」

藤木「どうしていいか判らないとき、ここはこう動く、ここはこういう気持ちだろって監督に微に入り細に入り教えていただいた覚えがあります。ぼくはいまだに不器用で、その応用をしてお茶を濁しているような気もします。

 気分として、この役は自分の感性に近いと思っていました。台本読んで、クエスチョンマークが少なかったです。飛躍した話ですけど、身近なものだったんじゃないかと思います。自分が演技するとは全く思っていませんでしたが、ヌーヴェルヴァーグに興味はあって、アウシュビッツの遊びのシーンでぼくが殺されたおじさんになって出てくるところは、ジャン=クロード・ブリアリの感じだと思ったことはいまだに覚えています。ですからあのシーンがもっと長かったような気がしていたんですが。あのシーンは、ぼくはものすごく強い印象が残りました。疑似演劇みたいになる。そういう感性が幼いぼくにあったから、この歳まで舞台にしがみついていられるのかななんて少し自負しております」

山際「舞台と違って映画は生の感じが出れば、演技がうまいとか下手ではない。ぼくはこのおふたりに、不満は感じませんでした。俳優さんについては、やりやすかったです」

「若い監督だったなあと(一同笑)」

山際「星さんの家まで行って、お母さんに“ちょっと身柄を預かります”とあいさつした覚えがあります(笑)」

「監督はお育ちがいいので、優しくていい方ですね。ずっと年賀状のやりとりもしてましたよね。現場では、なめてました(一同笑)」

山際東映梶間俊一って監督が、星輝美のアップはよかったと最近言ってましたね。そういう見解もあるな(笑)」(つづく) 

監督 山際永三、大いに語る;映画『狂熱の果て』から「オウム事件」まで

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