【『黄色い涙』(2)】
森本「市川さんの中ではフェリーニがどっかにあって、渾身の代表作だとぼくは思ってます。森さんと言ってたのは、役者じゃなくエピソードとしていようとっていうことです。エピソードが触れ合っていくのが面白い。エピソードが寄り添い、やがて遠くへアウトしていく。凝縮された人生そのものではないかと」
鈴木「全員失恋で終わりますね」
森本「森さんは、人の恋が実るのは悔しいって(笑)。破れるのがドラマだっておっしゃってたんで、そういうのがあったんでしょうね」
鈴木「最終回では、みんななりたい自分を棄てます。岸部シローさんの文学青年、ランボーと吉本隆明を愛読してたのが自動ドアのセールスマンになる。見事にセールスマンになっちゃってる(笑)」
森本「似合ってましたね」
鈴木「下條アトムさんはクラブの支配人。変わってないのは主人公の森本さんだけで、木造アパートに住んでる」
森本「市川さんの創造で、マンガではあんなことはないです」
鈴木「あの後の時代にモラトリアム人間が出てきて、自分探しとか」
森本「胸が痛いですね」
鈴木「だから、あの『黄色い涙』(1974)の感覚はその後も生きている感じがします」
森本「日本人の価値観を覆すというか、階段を一歩も二歩も上がった気がするんです。木下プロの方にも誉められて、“ちょっと悔しいぞ”って言われたのが嬉しかったですね。制作の方は、そういうものをおさがしになっていたと思いますね」
鈴木「それが証拠に、中学生のころに見た犬童一心監督が10年前に嵐の主演で映画化しました。市川さんがご自身で脚本書かれてます」
森本「おれをワンカット出せよって言っても、出してくれなかった(笑)。駅ですれ違うとか、でも持ってかれるからダメだって」
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竹下「NHK名古屋は、いいものをつくるって伝統がありませんか。NHKという機構の中でも地方だからできる。そういう気概を持った方々がいらしたというか」
森本「名古屋はやんちゃな系統の人が多かったです。番組が終わって、スタジオに芸者呼んで打ち上げやるんだよ(笑)。そこで育った人たちが東京へ行って、東京も塗り替えていった気がするんですね」
鈴木「森本さんは、この作品でプロの役者さんとしてやっていこうとなったわけですか」
森本「作家になりたいと思っちゃったんですね。コントロールしたいなと。でも役者の仕事があるのでやって、森さんがうらやましかったですね。
大学出るときにアシスタントやってくれよって電話がかかってきて、日テレにコネつけて公民館で演芸大会やるんでホン書いたんだけど助監督をやってくれと。演芸大会はだらだらやってるだけだったんですが、終わって市川さんのところで4〜5人でディレクターたちと飲んだんです。市川さんは痩せて骸骨みたいだったんですが、12時くらい、骸骨みたいな顔でひょっとこの真似をやり出した。悲惨でした(一同笑)。ここまで頑張ってるのか、この人は。みんな引いちゃうんだけど、拍手。それは市川森一の原点でした。そんな思いで乗り越えて、『黄色い涙』をフェリーニとも原作マンガとも違う自分のドキュメントとしておやりになった」
映像がすべて残っているのは、森本氏が自宅で録画していたからだという。
森本「ソニーの高いデッキを買ったんですが、残っててよかったです。1974年の放送界の、価値観が変わっていくころのドキュメントとして見ていただければと思いますねえ」
鈴木「『黄色い涙』を見てると、昼飯の次は夕飯どうしようかって、そんな話題ばかりでそれぐらい金がなかった(笑)。市川さんは学生時代に同郷の人と相部屋だったみたいで、自分の反映なんですね。また子ども向けの貸本マンガを描いてて、それは子ども向けのドラマを書いてた市川さんがそこに重なってるとも思ったんです」
森本「後年に天草四郎の本(『幻日』〈講談社〉)をお出しになってて、あれを読んだとき、森ちゃんがここにいたって感じがあって。九州は独立王国を夢見てる土地。昔、神と精霊をさがしてた優しさ、いじらしさがあって、いとしかったですね」
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【『傷だらけの天使』(1)】
『傷だらけの天使』(1974)もいまだに高い人気を誇る1作。大勢の脚本家・監督が参加している。
工藤「風変わりな出会いでして、1972年の春だったと思うんですけど、当時のプロダクションの情況はいまと全然違っていて、数が少なかった。渡辺プロ系の渡辺企画にいたんですが、TBSなどから外部制作の仕事を受注してました。先ほど堀川さんがおっしゃった橋本洋二さん、ぼくも学ぶところが多かった方ですけども、その橋本さんから市川さんを紹介されました。名前は存じてました、『コメットさん』(1967)の脚本陣のひとりでしたし。橋本さんは『柔道一直線』(1969)や『コメットさん』をつくってた方で。
『刑事くん』(1971)ではモチベーション上げたいので、違う畑からゲストで呼びたいと。誰ですかって訊いたら、ショーケンやジュリーを出したいって。市川さんは交渉ごとが上手な方で、ぼくも面白いと思って。女性もってことで、そのころ人気の上がってきた天地真理、小柳ルミ子、そして岸部兄弟。ドラマは違う土俵って気持ちが音楽の方にあったみたいで、うまくいったと言いますか。市川さんとはそういう出会いでしたね」(つづく)