私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

砂嵐へようこそ!・『ポルターガイスト』『魔法少女ちゅうかないぱねま!』(1)

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 若い人はもうご存じないかもしれないけれども、地上波のテレビがアナログ放送だった時代には、無数の白と黒の点がしゃーという音とともに現れるノイズ画面の流れることが頻繁にあった。いわゆる “砂嵐” である。無機質な画面と単調な音とは何となく無気味なものを感じさせて、実は砂嵐に紛れてメッセージが流れているなどという都市伝説もあった。

 砂嵐以前に、テレビ自体がある意味では異界への入り口である。テレビが一般に普及し始めた時期から比較的最近に至るまで、テレビを素材にした超現実的なフィクションがいくつもつくられているのは、私たちがどこかでこの光る箱を畏怖(?)してきた証左ではないだろうか。

 1965年に発表された水木しげるの短篇マンガ「テレビくん」(『幻想世界への旅』〈ちくま文庫〉所収)は、テレビの中へ自由に行き来できる少年を描いた秀作である。テレビの中へ入り込んでは新発売のお菓子などを食べてみせる “テレビくん” は、新聞配達で生計を立てる同級生の心に灯をともす。「テレビくん」の主人公はテレビというもうひとつの世界の旅人であり、飄々とした彼に惹かれる同級生の姿はこの時期のテレビに対する無心なあこがれを巧みに描出している(本作により水木は第6回講談社児童まんが賞受賞)。

 四つん這いになってテレビに出入りする例としては映画『リング』(1998)がよく挙げられるが、その30年以上前の「テレビくん」には既に同様のイメージが描かれていた。

 水木しげるは「テレビくん」を発表した時点で40歳を過ぎていたけれども、その下の世代が擡頭すると、テレビ(テレビ画面)がさらに神秘的に描かれたホラー風味の作品が登場し始める。最もよく知られているひとつがアメリカ映画『ポルターガイスト』(1982)であろうか。深夜に “砂嵐” の画面から聞こえる声を発端に、主人公一家を怪現象が襲う。やがて幼い次女(ヘザー・オルーク)は “砂嵐” の中へ吸い込まれてしまう。

 この作品の監督は『悪魔のいけにえ』(1974)などのトビー・フーパーであるが、製作・脚本はスティーブン・スピルバーグで、かなりの部分をスピルバーグが仕切ったらしい。テレビから悪霊が現れるというのもスピルバーグの発案で「テレビはぼくにとっては第二の両親のようなものだった」ゆえのアイディアであるという。

 

「(スピルバーグは)よほどのテレビっ子だったらしい。同時に恐怖を運んでくるのもテレビだったようだ」(筈見有弘スピルバーグ』〈講談社現代新書〉) 

ポルターガイスト (字幕版)

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 1922年生まれで「テレビくん」の執筆時には既に中年であった水木しげるは、視聴者を魅了する新奇なメディアとしてテレビを軽やかに描いた。一方、1947年生まれで感受性豊かな子どものころからテレビに親しんだスピルバーグにとって、テレビは娯楽でありながら近寄り難い恐怖の源泉でもあった。

 ちなみにスピルバーグよりもふた回り年長の鈴木清順監督の『悲愁物語』(1977)では、愚かな民衆が主人公のテレビタレントに群がる暴徒と化し、ラストは燃え上がるテレビのアップで終わる(脚本:大和屋竺)。上の世代の映画人(特に日本では)にとって、同じ映像メディアであるテレビは、自分たちの食い扶持を脅かす存在で憎しみの対象だったのだろう(「テレビくん」の水木しげるは清順監督と近い世代だが、映画界の人間ではない)。(つづく