『ポルターガイスト』(1982)におけるテレビは災厄をもたらす疫病神であり、ラストでは棄てられる。だがその一方でテレビの世界と交信し合う次女(ヘザー・オルーク)の恍惚とした表情などを見るに、作り手がテレビを憎んでいるわけではなく不可思議な世界への水先案内人としてある種の敬意を持ち合わせているのも推察できる。何度も劇中に登場し、ラストをしめくくるのも “砂嵐” であった。
“砂嵐” がずばりタイトルとなったのが、テレビ『魔法少女ちゅうかないぱねま!』(1989)の第5話「砂嵐の少女」(脚本:山永明子 監督:坂本太郎)である。
レギュラーのひとりである少年(山中一希)は、深夜にテレビに映った少女(田京恵)に惹かれた。テレビの世界にいざなわれ少年は風光明媚な公園を散策して遊覧船に乗り、少女とふたりで手を握り合う(ロケ地はこの時代によくCMが流れていた箱根・彫刻の森美術館)。毎夜、周囲の人には “砂嵐” にしか見えないブラウン管を見つめる少年は、次第に衰弱していく。少女はテレビに潜み、子どもたちの命を吸い取る魔物であった。最後に「あなたの愛で私は救われました」と言い残して、消えていくのだった。
『ちゅうかないぱねま!』は全般にばかばかしいコメディタッチのエピソードが目立つが、この「砂嵐の少女」はホラープラス青春ドラマのようなトーンの異色作である。おそろしい魔窟でありながら美しく、あこがれを募らせるようにテレビを描いているあたりは『ポルターガイスト』と同様の作り手の心性が伺える(酷似した演出も多いゆえ、単に模倣したのかもしれない)。この作品でもラストカットは廃棄されたテレビの “砂嵐” である。
同じく日本のテレビ作品では、やはりテレビの画面に吸い込まれた末にビデオテープに閉じ込められるという『世にも奇妙な物語/プリズナー』(1991)や映画版に先がけた『リング』(1995)がある(いまの目で見ると実に安っぽく、全く怖くない…)。これらの幕切れも、やはり “砂嵐” !
2012年、地上波テレビのデジタル放送への移行は完遂。“砂嵐” は姿を消した。そしていつのまにか、私たちのテレビに対する感じ方も変容したように思われる。1960年代から活動してきた脚本家の山田太一は2013年の対談で述べる。
「昔、僕らがメインで書いていた頃というのは、かなりの集中度で見て下さっていた方がいたわけですよね。だからこそ、反響もくっきりあった。でも、今は何というか、ちょっとバカにしているみたいになってしまいましたでしょう」(文藝別冊『山田太一 テレビから聴こえたアフォリズム』)
いまも地上波のテレビは、巨大な影響を及ぼす大メディアであることに変わりはない。だが時代の流れか、私たちのテレビに対する畏れはいつのまにかなくなっていった。“砂嵐” の消滅はその象徴的な出来事なのかもしれない。これから光る箱に代わって人びとのあこがれと畏怖とを両方引き受けられるようなメディアは、果たして現れるだろうか。