
独立独歩を宣言する人物は、鎌田敏夫の作品に男女を問わず頻繁に登場する。その中でも自分の人生を自分で生きる女性像は『男女7人夏物語』(1986)と『男女7人秋物語』(1987)の系譜であり、他の作品以上に強烈ではあった。ただし『いこかもどろか』(1988)の後半では、男性主人公(明石家さんま)を暴行して金を奪った悪徳刑事(小林稔侍)に対して女性主人公(大竹しのぶ)は復讐を誓う。
翔平「どないしたんや?」
小夜子「私、人のために何かしたいと思ったの、生まれて初めてだもの」
翔平「…………」
小夜子「人のことなんか、どうでもよかった」
翔平「…………」
小夜子「みんな敵だった」
翔平「…………」(『いこかもどろか』〈角川書店〉)
自分のしたいようにした結果、たどり着いたのが利他、他者のための尽力であった。この選択は両義的で「自分らしさ」の追求が臨界点に達した『秋物語』からの後退ともとれる一方で、個の発展を求めてばかりいるとやがて満たされなくなると訴えたとも解釈できる。
クライマックスで警察署から金を奪い返した主人公カップルは、車椅子に乗ってカーチェイスを演じ、悪徳刑事も倒して海へ向かって突っ込む。鎌田敏夫の脚本では以下の通りである。
飛ぶ車椅子。
翔平にしがみついている小夜子。
小夜子「好きよッ!!」
翔平「そんなこと言ってる場合かッ!!」
翔平と小夜子を乗せて、宙に飛ぶ車椅子。
小夜子「好きッ!」
翔平「嫌いや、こんなの!!」
限りなく空に飛ぶ二人の車椅子。(『いこかもどろか』)
海へジャンプしたはずのふたりは、いつのまにかジェットコースターに乗っている。
ジェットコースターが上がって、落ちる。
小夜子、ますます興奮する。
翔平、ますますしがみつく。
小夜子「好き!!」
翔平「嫌い!!」
小夜子「好きよッ!!」
翔平「嫌いやッ!!」
音楽とともに、ラインの上を突っ走るジェットコースター(カメラの見た目で)。
上がって、下がって、ラインの上を疾走していく。
疾走するカメラ。
ラインのトップに上がっていったかと思うと、そのまま空に飛ぶ。
どこまでも、どこまでも飛んでいく。(『いこかもどろか』)
犯罪行為にまで手を染めた『いこかもどろか』の主役コンビがジャンプして海へ突撃し、次の瞬間にジェットコースターにいる。『北北西に進路を取れ』(1959)の結末のように助かったのか、あるいは違うのかは観客に委ねられたのであろう。画面が「どこまでも、どこまでも飛んでいく」というト書きからは冒険の果てに別の世界に旅立ったのではないかと思えるが、夢か現実か詳らかでない趣向は映画ならではだと言えよう(リアル志向のテレビメディアでは難しい)。完成作品では生野慈朗監督のアイディアなのか、主役のふたりがコースターの止まるまで乗車している形に変更された。スタッフの佐光朗は後年に証言している。
「ラストのジェットコースターのシーンで、大竹しのぶさんがすごいなと思ったのは、あれだけ騒いでて最後のセリフが「楽しかった」。あれはアドリブなんですよ。見事に美味しいところを持って行った」(『キャメラを抱いて走れ! 撮影監督 仙元誠三』〈国書刊行会〉)
大竹しのぶが「楽しかった」とつぶやくのは、確かにシナリオにはない。完成映画では「どこまでも飛んでいく」というシナリオの現実世界の枠を越えるような味わいは失せ、しかし自分らしさと利他行為の果ての境地をコミカルに表したと言えなくもなかろう。筆者は、自分らしさ追求を描いた『男女7人』二部作と『いこかもどろか』の先見性を、再評価すべきだと主張したい。
この6年後に鎌田敏夫は『29歳のクリスマス』(1994)を発表。主人公の女性ふたり(山口智子、松下由樹)が個を貫き、結果的にそれぞれ孤独になる(ふたりで助け合うのだろうが)終幕を描いている。


