私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

暗殺と走馬燈

 何年も前のことだが首相経験者の遊説を見かけたことがある。さすがに知名度があるので人だかりもできていたけれども、アンチの多い御仁であるせいか、強面のSPが周囲を厳重に警護している……ように見えた。筆者は特にじっくり拝聴したいとも思わなかったので、人だかりの周辺を自転車でふらふら旋回して見物してから帰った。当然ながら威圧的なSPたちのせいで、元首相の顔を至近距離で拝むことは叶わない。

 数日後、その元首相がネット上や紙メディアで揶揄されていた。曰く、元首相の演説は閑古鳥で周囲にこんなに人がいない、彼がいかに民衆に無視され嫌われ相手にされていないかの証左である!と。しかし、筆者に限らずその場にいた聴衆は判っていると思うが、複数のSPたちが警護しているから近づけなかったのである。メディアに載ったのは、SPによって引き離された元首相の姿だった。2010年代半ばで、まだSNSがいまほど爆発的に普及していなかったゆえ映像や画像は拡散されていなかろうが、メディアの切り取りに呆れる一方でSPはやはり仕事をしているのだなと感服したものである。

 それからさらに歳月は流れ、昨日の午後に自宅でぼんやり仕事をしていると、ある報せが飛び込んできた。別の元首相が演説中に銃撃されて命を落としたという。走馬燈のように筆者の中で思いがめぐったけれども、いのいちばんに想起したのは過去の首相経験者の遊説だった。あのとき幾重にも取り囲んでいたSPたちは、昨日は何をしていたのか。SNSでは撃たれて倒れる瞬間の映像も上がっていた。犯人は至近距離まで来て1発撃ち、みなが驚いて振り返り数秒茫然としていた後で、さらに撃ち込んでいる。SPが身を挺してかばえば、あるいは本人も伏せていれば助かったかもしれない。衝撃ではあるけれども、暗殺者が接近するまで本人も含めてみな棒立ちに近いのだから牧歌的とも捉えられる映像であろう(ちなみに撃たれた直後も、周縁で見ていた人びとは逃げも隠れもせずに棒立ち)。

 かつて陸軍の若手将校たちが決起して大蔵大臣などを殺害した二・二六事件に、演出家・作家の久世光彦は憑かれていて、テレビ『麗子の足』(1986)や長編小説『陛下』(新潮文庫)などで描いた。特に前者では、ステンドグラスの部屋で密談する将校たちや事件当日の雪など妖しく凝った意匠はロマンティックで強い印象を残す。久世は、明瞭な理由はないが何故か二・二六事件に惹かれて資料を蒐集してしまうとどこかで話していた。彼が取り上げた時点で事件からは50年以上の歳月が流れており、作品やその創作の動機がロマン化してしまうのはやむを得ない?ことであろう。

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 今回の暗殺事件により二・二六事件五・一五事件を引き合いに出す者も多く、ご多分に漏れず筆者も連想した。だが銃撃の映像やSNSなどでの興奮状態の野党攻撃、あるいは激して議論する輩などを眺めていると、現実はロマンではなくひたすらに間ぬけな感が否めない。地獄への道は間ぬけで舗装されているのか。